老舗旅館を守る尼崎で生まれた女将

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世界中から「ただいま」と帰る宿


前庭で出迎えてくれた女将
旅館女将・樋口京子さん

 かつては九州や四国から。そして今はフランスやフィンランドから「ただいま」と人々が帰ってくる旅館が、出屋敷駅北の路地奥にあります。宿の名は「竹家荘旅館」。築100年の木造建築、下町風情をそのまま閉じ込めたような13の客室が人々の帰りを待っています。


しっとりと濡れた緑と石畳が心地よい庭先

 「いらっしゃいませよりも、おかえりなさい、いう感じやね」と出迎えてくれたのは3代目女将の樋口京子さん(66)。この旅館を営むまでには「色々あった」といいます。その“色々”を、今年1月にオープンした玄関スペースの「喫茶リョカン」で珈琲を飲みながらじっくりと聞かせてもらいました。


タイルが気持ちいい玄関に遊びに来た愛犬ランボウ

出屋敷生まれ旅館育ち

 1947年に創業した竹家荘旅館。下宿屋だった建物を祖母が入手し、旅館として開業しました。戦後間もない時代。作家の田辺聖子は「阪神電車の踏切がひっきりなしに鳴って、そこから東へかけ闇市(やみいち)あがりの商店街がクモの巣のように四通八達」とその頃の出屋敷界隈をいきいきと描いています。

 「旅館には船乗りや出張客がたくさん来ていました。家族で暮らす建物に、常に知らないおっちゃんが出入りしている雰囲気が楽しかった」と幼少を振り返る京子さん。仕事のたびに定期的に訪れる客も多く、「おかえり」とまるで家族を出迎えるような旅館はとにかくにぎわったといいます。


和室、洋室ともにかつての趣きを今もとどめています

 厳格で封建的な両親の影響で、難波小学校へ越境入学、中学から短大までは川の向こうの女子校へと通った京子さん。「お嬢として育てようとしはったんやろうね。どっちかゆうと当時流行ってたスケバンに近かったかも」と笑います。武庫川女子短大ではグラフィックデザインを学び、卒業後は尼崎の実家を飛び出し、神戸や阪神間を転々とした20代。昼は広告代理店、夜は神戸の高級クラブで働き、その頃に出会った大手企業の社長の縁で、28才で単身オーストラリアへ渡ることになりました。

結婚、出産、離婚、そして火事。

 レストラン、旅行ガイド、高級ブティックなど次々と職を変えながら結婚、そして出産。その後シングルマザーとなった京子さんは、36才でメルボルンに日本料理店をオープンしました。と、ここまでですでに息もつかせぬ半生。ジェットコースターのような人生はさらに続きます。


カウンターの中から語りかける女将

「行列ができる人気店になったんですが、火事で燃えてしまったんです」と衝撃の事件をさらりと振り返ります。その後、お店を再開するもバブル景気がはじけて92年に閉店。借金を清算して8才の息子を連れ、次はケアンズの大手旅行代理店のガイドとして再起をはかるとこれが成功し、わずか2年で家が建ったというから、まさに波瀾万丈です。

 その後も親子で日本とオーストラリアを行ったり来たりしながら、40代を過ごしていた彼女の元に、82才の父から一本の電話が。−うちに帰ってきてくれないか。「その時思ったんです。帰れる場所があって私は幸せやって」。海を越えてタフに生きてきた娘に、父はやさしく「おかえり」と声をかけたのでした。

本物の下町風情を守りたい

 2003年、こうして出屋敷に京子さんが帰ってきました。生まれ育った旅館を久しぶりに見た第一印象は「この家めっちゃええやん」。昔は古臭くて嫌だった畳も土間も漆喰の壁も、長年海外暮らしだった彼女の目には新鮮に映ったといいます。食器から電球の傘まで、祖母から受け継いだ本物の日本風情が残っていたのでした。


洋間におかれたソファは父が使っていたものだとか

 畳を隠していたじゅうたんをめくり昔の客室へと戻し、レトロモダンな印象の玄関はバースペースに改装。オンライン旅館予約サイトへと登録したところ、海外からの客が来るようになりました。「英語?そら22年もおったからしゃべれるよ。しゃべれるどころじゃない。深い話までできる」という女将に会いに、リピート客が足を運ぶといいます。本物の日本を体験してもらおうと、海外からのお客さんを自身が通う陶芸教室にも連れて行きます。さすが、元旅行ガイド。


壁には女将が自ら作ったカップコレクションが並びます

 かつてのように出張客も戻ってきました。長期の宿泊客には、女将が用意する夕飯も人気で「ごく普通の家庭的な料理やけど、仕事で1週間も出張していると毎日外食だとつらいでしょ」という気遣いはまるで実家のようです。終電を逃し、どうせタクシーで帰るなら、と宿泊のついでにバースペースで女将との会話を楽しむサラリーマンなど、これまでとは違った「おかえり」の風景が生まれました。


少しビターなコーヒーに和菓子がよくあいます

 今年1月にオープンした「喫茶リョカン」はコーヒーと紅茶をゆっくり楽しめる空間。地域に遺された築100年の貴重な建物を、近所の人にも気軽に見て味わってもらいたいという思いからはじめました。


喫茶リョカンは気軽に女将に会いに行ける場所

「色々あったけど、生まれた時からここで女将をやる運命やったんかな。あ、宿やから宿命やね」と笑う京子さん。世界中を覆う感染症の影響で、今は旅館の経営が厳しいですが「せっかくある部屋を使わないともったいない」とポジティブに立ち向かう女将が発想する、新たなサービスが楽しみです。


手入れが行き届いた草木が印象的な外観

レトロな電球や古い壁掛け時計が目を引く廊下

喫茶リョカンの店内で

年季の入った旅館の看板と女将が自ら作った喫茶の看板

布団を3組敷くことができる大きめの和室


(プロフィール)
ひぐち・きょうこ 尼崎市出身。20代から22年間オーストラリアで暮らしたのち、実家が営む旅館「竹家荘旅館」を継ぎ、3代目女将に。2020年からはテレワーク勤務の人のために、静かな客室を時間貸しする新たな試みもはじめた。