阪神尼崎駅から南へバスと徒歩で約20分、海の入り口にそびえる「尼ロック」。まるで映画やアニメのヒーローみたいな名前がついたその場所は、その日も静かに尼崎で暮らす人たちを守っていました。その姿に魅せられた尼崎市出身の映画監督・中村和宏さんがメガホンを取ったその名も『あまろっく』という名の映画が2024年春に公開予定です。映画の内容はまだわかりませんが、モデル(?)となった尼ロックとは果たして何者なのか、その魅力を探ろうと現地を訪ねました。
尼崎市では、まちの約3分の1の土地が海面よりも低い“ゼロメートル地帯”なのは、よく知られた話。「台風で家がよく水に浸かったもんや」と遠い目をして語るまちの先輩たちは少なくありません。たび重なる水害から暮らしを守るため、海面から7メートルもの高さの防潮堤でまちをぐるりと囲んだのは1956年。今から70年近くも前のことです。
日本最大級!パナマ運河と同じ閘門(こうもん)
高い壁でぐるりとまちを囲むと、壁の内側にある工場に船を着けることができなくなります。そのため船の出入り口として誕生したのが尼ロックなのです。海からまちを守りながら、水面の高さを調整することで船が行き来できるよう、あのパナマ運河と同じ方式で作られました。なんと日本最大級の施設です。
ちなみに正式名称は尼崎閘門(こうもん)。ちょっとなんとも言えない語感ということもあってか、20年ほど前に英語で閘門を意味するLock Gate(ロックゲート)から、「尼ロック」の愛称が使われるように。カタカナにするとロックンロール感もあってなんだかかっこいい。
「今日で尼ロックの撮影は6回目です」という写真家の小林哲朗さんとともに施設へと向かいました。尼崎市出身・在住の小林さんは、主に工場夜景や巨大建造物を被写体に活躍する写真家です。そんな彼も「はじめて見た」という光景がそこにはありました。
「手前が第1閘門、奥が第2閘門です。今ちょうどどちらにも船が入っています。これは珍しいですね」とその光景に、尼崎港管理事務所施設課の伊野さんも思わず写真を撮りながら案内してくれました。
海側に前扉、まち側に後扉。海から船が近づくと前扉を開けて船を入れます。尼ロックに入ったら前扉を閉めてから、後扉を開いて船をすすめます。こうして外海の高い水位から内側の低い水位へと移動させる、いわば船のエレベーターのような仕組みになっています。巨大なタンカーがゆったりと動く姿、空に広がる白い雲と青空のコントラストが鮮やかで、その眺めに思わず見とれてしまいます。
水害からまちを守る海の砦
続いて、ロボットアニメの司令室のような外観をした「集中コントロールセンター」へ。フロアに入ると壁には「グラパネ」と呼ばれる巨大な尼崎の地図にデジタル数字が並んでいます。「ここに市内各地の水位や降水量、ポンプ場の稼働状況がリアルタイムに集まってきます」と数字の意味を教えてくれた伊野さん。
この数字をにらみながら、川や運河の水があふれないようにポンプ場を操作します。水が増えるとポンプを動かして水を外の海へとはき出すので、尼ロックの内側は水位が一定に保たれています。そのおかげでまるで湖のように静かで穏やかな水辺が広がっています。
さらに船を目視で確認しながら操作盤で扉を開け閉め。1日の通行は20回程度で、天気がよければ海辺ののどかな仕事場に見えますが、高潮や豪雨が来るとその表情は一変するのです。
嵐に立ち向かう尼ロッカーたち
「梅雨や台風の多い6月から10月ごろまでは出水期といって、私たちも気が引き締まります」という伊野さん。緊急時には、彼と同じく兵庫県尼崎港管理事務所、通称尼管(あまかん)の職員たちが、県の水防指令の発令を待たずにこの事務所に集結します。
高潮で流れ込む漂流物から門扉を守るために、「防衝工(ぼうしょうこう)」と呼ばれる鉄のブロックをクレーンで設置します。レールにそって一つずつ落とし込む作業は慎重さと同時にスピードが命です。さらに、職員は班に分かれて市内10数カ所に点在する陸閘や樋門といった防潮扉を閉めて回り、ポンプ場などに配置されて事態を見守ります。
遠隔操作もできるけれど、最後に信じられるのは結局、人。何かのトラブルで門が閉まらないなど、不測の事態に備えて嵐の中を走り回る人たちがいることを私たちは知りません。「何も知られないのが一番ですよ。スポットが当たるような災害を起こさないのが仕事なので」と控えめな尼ロッカーたち(もう、尼ロックの職員のことをこう呼びたい!)。
過去最大の台風やゲリラ豪雨など、これまで見たことのない異常気象がまちを襲う時。彼らが昼夜問わずこの場所で私たちを守ってくれていることを、少しだけでも思い出してください。
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