短編小説や児童文学、時代小説、ラジオドラマのシナリオなど多彩なジャンルの作品を書いている谷口雅美さん。尼崎で生まれ育ち、会社員や介護福祉士を経て、2008年に作家デビュー。子どものときから本好きだったという谷口さんが、どのように作家への道を進むことになったのでしょう。
初の長編作品には尼いもが登場
谷口さんが自身初の長編として書いた児童書『大坂オナラ草紙』。舞台こそ大阪ですが、主人公が慕う登場人物が尼崎出身で、尼崎伝統野菜のさつまいも「尼いも」も登場します。小学5年生の主人公が祖父の持っていた古文書を手にしたのをきっかけに、現代と江戸時代を行き来するようになるというエンターテインメント小説です。
「作品を通じて尼崎のまちを知ってもらうきっかけにしたい」と舞台設定を考えているといいます。
子どもの頃から読書好き。創作活動は高校生から
谷口さんが、作家になるきっかけは学生時代にありました。
中学、高校と隣の西宮市にある女子校に通っていた谷口さん。学校帰りはいつも阪急塚口駅前でバスを待つ時間に「塚口さんさんタウンで何をみるともなく、しょっちゅう本屋さんに立ち寄っていました」。松本清張、西村京太郎、筒井康隆、星新一など、推理小説やSF小説に夢中になったといいます。
中学校ではテニス部に、高校ではテニスを続けながらコンピューター部にも所属していましたが、親しい友人が文芸部だったため「文芸部が発行する部誌へもちょくちょく寄稿していました」と、当時を振り返ります。大学は文学部へ進み、マスコミ論などを学びながらも、読むことはもちろん書くことも続け、出版社などが主催するコンテストに応募することもありました。
家業を支えるために帰郷
大学卒業後、就職のために尼崎を離れ関東へ。カスタマーエンジニアとして出張が多く、「出張先では4次会まで続く接待もあったくらい」と、仕事漬けの暮らしを送っていましたが、28歳の時、父親の急逝をきっかけに家業を手伝うため帰郷します。
幼いころから製茶業を営む両親の背中をみて「商売はとてつもなく大変なもの」という思いを抱いていました。母親を助け、従業員とともに奮闘しますが、4年後に廃業することになりました。
その後一度は、大阪で事務職として働き始めましたが、将来的には専門職を目指した方がいいと思い、介護福祉士を目指して専門学校へ。2年間で資格を取り老人ホームに就職しました。
仲間と励まし合うシナリオ学校の学び
実は専門学校への入学と同時に、もう一つ始めたことがありました。
「これまで自分が好きで続けてきたことを見つめ直すと、物語を書くことだと改めて気付いたんです」。「作家になりたい」と強く願ってはこなかったものの、過去に何度もコンテストには応募してきました。いつも審査員の講評には、弱いのはキャラクターと構成だと指摘を受けてきたことから、シナリオ学校の門を叩くことを決意します。
専門学校を卒業し、老人ホームに就職した後もシナリオ学校には通い続けました。しかし、夜勤やシフト勤務のある仕事で家族と生活リズムが合わなくなってきたことから、老人ホームの仕事は3年半で退職。その後まもなく、書き続けてきた小説が実を結び、2008年、38歳のときに短編小説でデビューを果たします。
「シナリオ学校では課題に従って書いてきたシナリオを、まずみんなの前で自分で読みあげます。そこで率直な意見をもらって修正する。そんな風に鍛えられてきたからかもしれません。今も編集担当からダメ出しをもらっても、へこまずすんなりと受け入れられるんですよね」。シナリオ学校に通って20年あまり。今も通信クラスに在籍しながら学びを続けています。
尼崎での出会いから生まれた作品も
結婚後も「通勤の便利さや家賃、実家への近さから」と立花に住むことを選んだ谷口さんですが、当初は尼崎のまちを題材にとはあまり考えてはいませんでした。
しかし、ある時期を境に変わります。2010年、尼崎の宗教者たちが始めたエフエムあまがさきのラジオ番組「8時だヨ!神さま仏さま」や尼崎で発行されているフリーペーパーとの出会いなどから、人とのつながりが大きく広がり始めました。
リスナーとして参加した公開収録で出演者と出会い、いきなりアシスタントに抜擢されたのがきっかけです。以来8年間にわたり番組の進行役として毎回出演することになったのでした。
「ゲスト出演した方が主催される大阪天満宮の古文書講座にも参加し始めました。その講座で出会った江戸時代の瓦版に着想を得て書いたのが『大坂オナラ草紙』なんです」とまさに数珠つなぎのようにつながった作品を振り返ります。
子どものいる友人にプレゼントしたところ、「普段はあまり本を読まない子どもが一気に読み終えて驚いた」という嬉しい感想も。子どもの興味を引き付け、わかりやすい言葉で書くことを心掛けているといいます。
尼崎城を取り巻くキャラが踊り出す時代小説
「実はあまり歴史は得意ではない」という谷口さん。尼崎藩主・青山幸利(よしとし)の人柄をうかがうことのできる逸話が記された書物「青大録」との出会いから、初の時代小説にも挑戦しました。
きっかけは2018年、当時尼崎城天守が再建されることが決まり、お城や城主に関するイベントや講座が多数開催されていました。尼崎市立地域研究史料館(現・尼崎市立歴史博物館)の講座で語られる幸利公の人間味に溢れるエピソードに、江戸時代の藩主のお堅いイメージが大きく覆されます。
「この書物の解説本を出したいと、勢いで担当編集者にすぐ相談しました」。しかし、谷口さんの担当者は児童書部門。「児童書で扱うのは難しい」と言われましたが、熱意が通じて社内の時代小説の担当者を紹介してもらえることになりました。
『殿、恐れながらブラックでござる』という現代的なタイトルで、殿である幸利公を軸に、実在する人物と架空の人物を織り交ぜ、尼崎城をとりまく人情劇が描かれています。時代小説に馴染みがなくても一気読みしてしまうのは、谷口さんが生み出す魅力的な人物(キャラ)が、生き生きと活躍するからでしょうか。
尼崎で「ものかき」を続けて
「作家になりたいという夢がある人はどうしたら叶いますか?」という質問に、「誰でもなれるけど、続けるかどうかでしょうか」と答えてくれました。
実は今でも「作家」と名乗るのは苦手で「ものかき」と言っているそう。子どものころから読書好きで「ものかき」を続けてきた谷口さん。色んな職種を経ながら常に新しい出会いへのアンテナを張り、学び続けてきたことが作品につながっているようです。
「尼崎はウェルカムなまち。色んな人がいるけれど、つながっていこうとする人たちが多い気がします」と谷口さんはいいます。そんな気質は自身のなかにも大いにあるようです。
「テーマをもらって着想するのが得意」という谷口さんに、「じゃあ次はこんな作品を書いて欲しい」と、こちらからリクエストするのもいいかもしれません。尼崎の作家さんには、やっぱりまちの“あの人”や“あの場所”が登場する新作を期待したいと思いませんか。
(プロフィール)
たにぐち・まさみ 1969年尼崎生まれ、在住。神戸女学院大学文学部卒業後、CE、事務職、社会福祉士などの仕事を経て、2008年に短編小説にて作家デビュー。2017年『大坂オナラ草紙』で講談社児童文学新人賞佳作入選を果たす。2010年より始まったエフエムあまがさき「8時だヨ!神さま仏さま」では番組アシスタントを務めた。最新刊は児童書『わたしのカレーな夏休み』、作中に登場するカレーレシピも掲載され、読めば親子でカレーづくりに挑戦したくなる楽しく美味しいお話。