尼崎市の面積は50.72平方キロメートル。その約2%が、農地として活用されていることをご存知ですか。「え?尼崎で農業?家庭菜園じゃなくて?」と思ったあなた。尼崎では294戸の農家が、ネギ、コマツナ、ホウレンソウなどのおなじみの野菜から、お米にイチジク、伝統野菜の一寸豆(ソラマメ)まで、さまざまな農作物を生産しています。
都市農業は、消費地に近いところで生産されているため、新鮮で安全な農作物を供給できることがメリット。尼崎産の農作物も、市内のマルシェや直売所などで購入することができます。今回は、尼崎で農業を営む市内農家のみなさんに、「尼崎の農業」について余すところなく語っていただきました。
みなさん、どんな経緯で農業を始められたんでしょうか?
親父が亡くなってからですね。それまで家の手伝いは一切していなくて、まったくの素人。昔、この農業公園のあたりは全部田んぼで、半分ぐらいは農業してましたなぁ。
わしは体験農園をやってまして、明日、小学生が150人来ますねん。幼稚園の子どもたちも、毎年サツマイモ掘りに来てくれます。
私は久々知で水稲をやっています。30歳の時に親父が脳梗塞で倒れまして、農業のやり方なんて聞いてなかったんですが、サラリーマンをしながらできる水稲を始めました。当時はガレージや住宅を建てれば、どんどん人が入ってくる時代で、そういうものに転用しつつ、農業もやっていました。
僕は大庄地区で父親について農業を始めて5年目。自分は末っ子で、兄が農業の高校に通っていたので、兄が父のあとを継ぐんだろうなと思っていたのに、別業種の会社に勤めることになって「お前継いでくれ」って。「えっ!」って感じでしたよ。でも、子どもの時から父親の背中を見て手伝っていたので、農業、野菜は身近な存在でしたし、花も種も見るのが好き。父親の病気をきっかけに、僕もやってみようと。
武庫地区で米を作っています。私も、父が亡くなってからですね。当時は農業でやっていけるか分からなかったので、土地の半分で農業、残り半分を宅地に分けました。お米だけではとてもやっていけないので、不動産に転用してなんとかやっているのが現状です。
私も、父親が畑で倒れてから。それまでも、力仕事は手伝っていました。実は私、市の職員だったんです。早朝は畑、昼は市役所、夜になったらまた畑、という生活をしていました。立花地区で水稲のほかに、趣味で自分が楽しめるものをたくさん作っています。メロンとかスイカ、バジルを作ってバジルペーストにしたり。
みなさん当たり前のように家業を継いだのではなく、突然だったんですね。では、現在の悩み、困っていることは何かありますか?
トラクタに乗ったり、重たい肥料を運んだり、もう81歳やから、体力的にキツいですね。でも、中途半端にやるのはカッコ悪いから、維持するためにお金掛けてますよ。
あとは後継者。みなさんそうじゃないですかね。
(一同、うなずく)
うちは息子があちこち転勤してて、将来のことを話す機会もないですね。孫が自然が好きで、バッタなんかいたら目の色変えて楽しんでいるから、できれば孫に継いでもらえたら…なんて。でも、私が思っていることと息子夫婦が思っていることは必ずしも同じではないですからね。難しいですよ。
そんな中、島中さんは当時23歳という若さで家業を継がれました。
兄がやらないなら、自分が継ぐしかないと。僕は基本的に野菜が好きやから。今の悩みは、毎年作る種類がどんどん増えていくことですね。ちょっと変わった野菜を見つけたら、作ってみたくなる。父親と作る野菜以外に、去年は30品目も作りました。
ありますね。ちょこちょこ直売所に出しとんですけど、武庫之荘の方なんかは結構目新しいもん好きな方が多くて、「珍しいから買うわ」って。食べておいしかったら「また作って」って言われたり。作り方がそれぞれ違うから、試行錯誤しながら作っています。
自分は父親に付いていっているような感じで頼りないんですが…。「はよお見合いしろ」とか言われるんですけど、いざしてみると「農家って大変じゃないの」、「土いじりばっかりして汚いんじゃないの」とかね、理解がないんですよ。「軽トラしか乗ってないイメージ」って言われたこともありますよ。
嫁さんはやっぱり大事やわ。農家は一人ではできないからね。相方がいるんや。
悩みのテーマでもう一つ言うと、私の村では終戦後、72軒の農家があった。それが今や4軒しかない。これからも間違いなく減っていくやろうね。
一番大事なのは、尼崎の農業の未来を担うのは、島中くんみたいな若い世代なんです。我々はもう、次の世代に任せるからね。どうしたら尼崎の都市農業が魅力あるものになっていくか、彼ら若い人たちに考えてほしいね。
お聞きしていて、正直「体力面でも収入面でも、農業って大変なお仕事だな」と思ってしまいます。それでも、みなさんが尼崎での農業を続けられているのはなぜなんでしょうか?
ジャガイモとタマネギの収穫をJAと協賛していて、家族15組で収穫して食べるところまでやるんです。食育、食農ですね。子どもたちがものすごく嬉しい顔をしてたり、3歳ぐらいの子が一生懸命土を掘っているのを見ると、「農業やってて幸せやな」って。やっぱり楽しみがないとやっていけない。
まあやっぱり、食べてもらって「おいしい」って言ってもらうのが一番嬉しいですかね。
(一同)いいこと言う!そらそうや!
都市農業をする上で、周辺住民の方々との関係が大切になってくると思います。市民の皆さんに向けて、何かメッセージはありますか?
農薬をまいてても、においを気にされることはあるね。でも、農家の人は薬に一番敏感で、一番考えてるよ。訳の分からんもんなんか、絶対に使ってない。有機農業が人気やけど、有機肥料を使ったら「くさい」って言われる。その辺をいかに理解してもらうか。
学校給食に尼崎の米を使ってほしい。毎日じゃなくて一年のうちに何日かでもええねん。今は水の管理もちゃんとしてて、においなんかしない。米の品質も決してよそに負けていない。コスト面が問題なら、大人がもうちょっとずつ負担を増やして、子どもたちがいいものを食べられるようにしてほしい。「今日のお米は、尼崎で採れた米ですよ」って言われたら、「自分たちのまちでお米が作られてるんや」って知ってくれて、おのずと地元産が売れていく。「地産地消」って言われているけど、具体的に形にしていきたい。
大阪とか神戸の人は、「武庫一寸」っていうソラマメがおいしいのを知っていて買いに来てくれるんですけど、市内の南の方の人なんかは、知らない人も多いんですよ。
あと、市内のイベントとかにも、もっと参加したいですね。野菜出したら、買ってくれる人たくさんおると思うんです。
個人的には、もっと農業を楽しめる方法を模索中です。若い人たちが「やってみたい」と思ってくれるような、次の世代に伝えられるものは何かって。しんどいですけど、楽しもうと思っています。前まで農地だったところが宅地になってたりすると、さみしいですもん。農業を明るいイメージにしたいですね。
「農地売りませんか」と不動産屋さんから電話がかかってくる、畑の真ん中に石鹸が落ちていると思ったら犯人はカラスだった、などなど、「農家あるある」でも盛り上がった座談会。日々、自然という圧倒的なものと戦うみなさんの力強さを感じつつ、「尼崎産の野菜・お米を食べたい!」とお腹が空いたインタビューでした。
毎年秋に開催される「農業祭」のほか、尼崎の農作物を食べてみたい!自分でも作ってみたい!という方はこちらもチェック!!
※農産物直売所と朝市のご案内(市役所/外部リンク)
※市民農園(家庭菜園)のご利用について(市役所/外部リンク)