自分にできることを「おたがいさま」の精神で
90年以上続く材木店の敷地に建つ「GASAKI BASE」。DIY好きの秘密基地のようなショップです。と言っても、ホームセンターや100均で材料を買ってきて、雑誌やテレビをお手本にちょっと日曜大工や雑貨でも、というノリとは少し、いや、だいぶん違います。
外国の倉庫みたいな店内に並ぶのは、テーブルや棚のパーツらしき金属の脚や枠、扉や引き出しに使えそうなハンドルやフック、さびたような風合いのクギ・ネジ・ビョウ、アンティーク風スツールの座面…。なんとなく使い道は想像できるけれど、アイデアとセンス次第で使い方はぐんと広がりそうです。鉄、銅、真ちゅう、木や革など、どれも素材の質感豊かなのが印象的。眺めているだけで、その手ざわりとぬくもりが伝わってきます。
「今、DIYっていうと、規格どおりにカットした材木や既製品のパーツを買ってきて、手軽でおしゃれにみたいな話になりがちでしょう。そうじゃなく、自分の頭で考え、自分の手を使ってつくる、ほんとうのDIYを広めたいんです。自分に技術がなければ誰かに頼んで、その代わり、できることでお返しする『おたがいさま』の精神と一緒にね」
このショップの仕掛け人であり、「番頭」として店に立つ足立繁幸さんは言います。
ごみの中に宝物が眠っていた
島根県出身の足立さんはインテリアデザイナーを目指して大阪の専門学校に入ったものの、「思っていたイメージと少し違った」と言います。一方で、当時住んでいた西成区かいわいの雰囲気、人間くさい生活のにおいに強く引かれます。卒業後はグラフィックデザイナーの仕事をしながら、引っ越し会社でアルバイト。そこから「家具の組み立てや取り付け工事もできる引っ越し屋」のビジネスを思いつき、知人と尼崎で会社を立ち上げました。市内外を忙しくめぐるうちに気づいたのは、ごみの中に宝が眠っていること。
「古い銀行や会社の引っ越しに行くと、かっこいいヴィンテージ物のイスやソファ、年季の入ったオフィス家具などが、その価値に気づかれないまま、バンバン捨てられていくんですよ。僕からすれば宝の山。もったいないので譲ってもらい、修理やリメイクしたり、部材を取り外して売ったりすることを思いついたんです」
その会社の一部門として2014年に立ち上げたのが「GASAKI BASE」。2年後に足立さんは独立し、現在の場所に移ってきました。もともとは材木店「吉田悦造商店」の製材工場だったところ。古い鉄骨やトタンを使ってリノベーションした建物は、それ自体が足立さんの作品になっています。
「KABUKIMONO VILLAGE」と「尼崎ぱーちー」
そして今、この場所を単に商売だけではなく、〝DIY的おたがいさま精神〟を広めるための「村」にしたいと足立さんは考えています。名づけて「KABUKIMONO VILLAGE 尼崎傾奇者(かぶきもの)集落」。
「今の世の中って、便利さや快適さを求めるあまり、人と人との共感や助け合いがなくても生活できてしまうでしょう。ネットの情報や関係性に頼り、必要な物やサービスはすべてお金で買う発想だから、作り手や売る側より消費者がえらいみたいな話になる。そういう商売のあり方を違うと思う人たちをこの村に集めて、異なる価値観を見せていきたいんです」
材木店の社長が「村長」で、足立さんは「第一村民」。続いて、店のお客さんだった人が同じ敷地にレザークラフトの工房を開き、次にコーヒースタンドが開店し、コミュニティ・デザイナーが事務所を構えるまでになっています。
できることを持ち寄り、「おたがいさま」で一緒にやれる仲間をどんどん増やしたい。2016年に足立さんたちが企画して、尼崎の森中央緑地で開いた「尼崎ぱーちー」も、そんな想いから始まりました。市内のクラフト作家や飲食店が出店したマルシェイベント。町工場から出た廃材を活用して足立さんがデザインした会場には、古くからモノづくりのまちだった尼崎の持つ技術力、1つの目的のためにみんなが協力し合う結束力があふれていました。
尼崎が持っている「DIY」の可能性
今の尼崎に、足立さんは大きな可能性を感じていると言います。
「尼崎はかつて大気汚染とか光化学スモッグとか、公害のまちと言われてたじゃないですか。それは世間一般には悪いイメージなんだけど、反面、そういうことがあったからこそ伸びてきたまちのよい面や底力も絶対あると思うんです。町工場の技術や経験ある職人さんが多いのもそう。何よりも、人どうしのつながりがこのまちにはある」
負のイメージをとらえ直し、反転させて、新しい価値観を生み出すこと。人から人へ手渡され、まちに根づいてきた「今ここにあるもの」を生かすこと。
モノづくりにおいても、まちづくりにおいても、それこそが足立さんの目指す「ほんとうのDIY」なのでしょう。
(プロフィール)
あだち・しげゆき DIY好きの原点は、大工で茅葺職人でもあった祖父の手仕事。土間を打ったり、祖母の踏み台をつくったり、「既製品とはまったく違う価値があった」。会社時代はスーツを着てバリバリ仕事をこなす「部長」だったが、今や目指すは「笑福亭鶴瓶か越前屋俵太(笑)」。パートナーで、オーナーの上田桃子さんと2人で店に立つ。KABUKIMONO VILLAGEの面々は雑誌『ソトコト』の表紙にもなった。
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