芸人から「お笑いのまち」尼崎市職員に
「お笑いのまち」として有名な尼崎(って知ってました?)。あのカリスマ的存在のダウンタウンは尼崎出身で、子ども時代のエピソードをよくネタにしていますし、上方落語界の人間国宝、故・桂米朝さんは長く市内に住んでいました。ほかにも漫才や新喜劇の芸人さんが多く、尼崎市などが主催する「新人お笑い尼崎大賞」というコンクールが毎年開かれているほどです。
そんな尼崎の市役所にはなんと、元漫才師の職員が2人もいます。松竹芸能の「Fun Park」というコンビで活動していた江上昇さんと、吉本興業で「鬼小町」などのコンビを組んでいた桂山智哉さん。9歳差の先輩・後輩ですが、その歩みはよく似ています。
若手芸人として約5年間、笑いを追求した2人は、ともに30歳を前に転身を決意。「根がまじめで勉強好き。無理して芸人の破天荒な世界に合わせていたところがあった」という江上さんと、「漫才と同じように、お金や利益を求めるよりも多くの人に喜んでもらえる仕事を」と考えた桂山さん。引退後、公務員を目指した2人が、偶然にも尼崎市役所を選んだのは、お笑いと縁の深いまちだったからだといいます。
「芸人時代、尼崎の漫才コンクールに出ましたし、ダウンタウンさんを生んだまちというのも大きい。ここなら自分の経験を活かせる場所があるかも、と」
そう江上さんは振り返ります。
手弁当で出張「お笑い行政講座」
しかし、元芸人の目から見たお役所の世界はカルチャーショックの連続でした。
「公務員のよい面は、みんなまじめでルールをきちんと守ること。まあ当たり前の話なんですけど、芸人の世界にはまったくない価値観だから新鮮で(笑)。反対に、仕事や職場を面白くしようという発想がないんですね。たとえば市民向けの文書をつくるのでも、堅苦しいお役所言葉を、前例踏襲して書いてしまう」
江上さんの言葉に、桂山さんもうなずきます。
「組織内の調整や手続きが多く、『ここに話を通したか?』みたいなことが多い。それはもちろん行政に必要なことなんですが、自由な発想や1人で動けることは少ないですね」
よくも悪くも「手堅くまじめ」なお役所文化は、それゆえに「市民から遠い」「人間味がない」と見られがちです。ここを変えるのに、お笑いの発想が活かせないだろうか──。若手の職員仲間と勉強会を開き、模索していた江上さんの前に現れたのが、似た経歴を持つ後輩の桂山さんだったのです。
意気投合した2人は2016年3月から「お笑い行政講座」という自主活動をスタートします。難しい行政の話を市民に分かりやすく伝えたり、職員同士のコミュニケーションを楽しく豊かにするために、お笑いのテクニックを取り入れてもらおうという試みです。神戸や大阪、京都の役所からも呼ばれ、業務時間外に手弁当で出張講義をおこなっています。
漫才と解説で笑いのテクニックを教える
講座は漫才から始まります。「どうもー」と手をたたいて登場した2人がくりひろげるのは、お役所文化を笑うネタ。芸人時代と同じく、江上さんがボケ、桂山さんがツッコミです。
「その件につきましては、前向きに検討してまいりたいと思います」
「玉虫色やな。公務員が言う『前向きに検討する』はなんもせえへんてことやねん」
「そんなことないですよ。さまざまな方から多様なご意見をいただき、多角的な側面から検討しまして、全庁あげまして鋭意、前向きに取り組んでまいりたいと思います」
「結局なんもせえへんいうことやないか!」
漫才が終われば、ネタを振り返り、笑いのテクニックを解説していきます。笑いが生まれる前提条件とは。ボケの面白さはキャラで決まる。オチに使ったテクニックは…。さらに、「ツッコミから学ぶ話の聞き方」「日常会話で使える笑いの技術50」「すべらない話の作り方」と話が展開していきます。プロとしてネタを書いていた2人の解説は興味深く、会場には笑いとともに、「ほー」と聞き入る声が上がります。
2人は役所関係だけでなく、声がかかれば町会や民間企業、高校などへも出かけます。行政と市民の距離を少しでも縮めたい、という想いからです。
公務員のしあわせは現場でまちに関わること
お笑いで行政や公務員のイメージを変えることが目標の一つと桂山さんは言います。堅苦しいばかりじゃなく、相談しやすい人もいるんですよ、と。そして、もう1つ。
「公務員自身の働き方を変えたいんです。僕ら公務員は仕事外でも、まちのためになることをどんどんやったらいいと思う。公務員であることを僕らが楽しめば、まちはもっと楽しくなる。これ、いつも江上さんが言うてることですけど(笑)」
と、話を振られた江上さんが続けます。
「地方公務員の一番のしあわせって何かと考えると、まちがよくなっていく、面白くなる過程に現場で直接関われることやと思うんですよね」
元芸人公務員だからできるまちへの関わり方が、お笑い行政講座というわけです。
「業務内・業務外という言葉をなくしたいですね。すべてはまちのためだから」
桂山さんが決めゼリフを放った直後、オチを告げるように昼休み終了のチャイムが市役所に響きわたりました。
(プロフィール)
えがみ・のぼる 大阪市出身。大学入学後、本格的に漫才に熱中。松竹の養成所に入り、そのままプロに。「Fun Park」で新人お笑い尼崎大賞の尼崎市長賞(3位)を受けた06年に引退、市職員に。若手職員の自主勉強会「夜カツ」や「尼崎ENGAWA化計画」など、市役所内外でまちに関わる。
かつらやま・ともや 三重県出身。小学校2年生から漫才師を目指してネタを書きはじめる。大学卒業後に吉本の養成所NSCに入り、いくつかのコンビを経験。「キングオブコント」準々決勝まで進んだことも。解散後、ピン芸人の道も模索したが、14年に引退。翌15年から市職員に。