家族と始めた子どもたちのためのデイサービス施設

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大永尉惠さん(35)/デイサービス代表
大永尉惠さん(35)/デイサービス代表

 東難波町の尼崎総合医療センターに近くに、障がいがあったり、発達に特性があったりする子どもたちが通う「放課後等デイサービスヤシノキ」があります。6年前、大永尉惠さんは家族とともにこの施設を作り、現在は2歳から高校3年生までの子どもたち28名が通っています。そのなかには、大永さんの小学生になる息子と娘も。この施設をつくるきっかけとなったのは、息子さんの3歳児健診でした。

初めて聞く「発達障害」ということば


午前中は児童発達支援のプログラムを受ける幼児が通っている
午前中は児童発達支援のプログラムを受ける幼児が通っている

 保健センターで受けた3歳児健診で、息子さんの言葉の遅れを指摘され、保健師に発達障害検査を勧められた大永さん。はじめは自身の子どもに向けられた「障害」という言葉に戸惑いました。健診には、大永さんの子どもの成長をそばで見てきた姉の庸惠(のぶえ)さんも付き添っていました。当時、庸惠さんは、市内の養護学校の教員でした。「実は私自身は以前から発達障害の可能性を感じていたんです」と、いいます。姉妹といえども、なかなか言い出しにくいことだったと振り返ります。
 検査の結果、息子さんは発達障害のひとつ「自閉症スペクトラム」と診断を受けます。

子どもと生きていく施設をつくろう


スタッフと風船で遊ぶ通園児たち

 診断を受け、大永さんは「これからどう育てていけばいいのか」と悩みます。そんななかいち早く心を決めたのは、姉の庸惠さんでした。施設開設のための資料を入手し「一緒にデイサービスを始めよう」と、大永さんに提案します。すでに庸惠さんは、10年間務めた養護教諭を辞める決心もしていました。ちょうど大永さんの夫・巧基さんも、長く介護職員として勤めた施設を退職したタイミングでした。こうして、大永さん夫婦と姉の庸惠さんで、デイサービスの事業を始めることになったのです。息子さんの診断を受けてから半年あまりのことでした。

「ヤシノキ」に託した思い


住宅の壁面に付けられた手づくりの看板

 施設開設の準備を始めて半年、2016年3月に施設をオープン。施設名は「ヤシノキ」と名付けました。様々な種類があるヤシの木には、その実の活用方法もさまざま。ココヤシの花言葉は「思いがけない贈り物」ともいわれます。「すべての子どもには可能性が無限大。生まれて来たこと自体が思いがけない贈り物だよ、という気持ちを込めました」と教えてくれた庸惠さん。

地域でつながり、暮らしていくために


毎日多彩なプログラムを実施できるのも、大永さんが培ってきたつながりがあるから
毎日多彩なプログラムを実施できるのも、大永さんが培ってきたつながりがあるから

 開設当初から、自然と知り合いが手伝ってくれるようになりました。というのも、以前から「子育てサークル姫パラ」というサークル活動を主催していた大永さん。サークルメンバー内の同じ悩みを持つ母親や、これまで培ってきたつながりがこのときも力になりました。「開設直後からのスタッフが、今では資格も取得し施設を支えてくれています」。
 施設に通う子どもたちは、地域とつながるイベント参加や外部講師を招く音楽療法、茶道教室などにも参加しています。そういった活動の一つ一つが、これからも尼崎で暮らしていく子どもたちの基盤づくりになると考えています。

不登校、そして夜間中学での学びなおし


ヤシノキのスタッフたち

 四人姉妹の四女として、尼崎で生まれ育った大永さんは、小学1年の冬、両親が離婚をし、生活リズムを崩して不登校になった経験があります。父は仕事に忙しく、10歳離れた長女の庸惠さんをはじめ3人の姉たちも、自分たちの学校やバイトですれ違う生活でした。
 発達障害についての本を手にしたり、施設運営のための書類づくりのたび、読めない字や書けない字が多く苦労するのをきっかけに、5年前、夜間中学で学び直しを始めました。ですが、夜間中学に通う目的は勉強ばかりではありません。
 「夜間中学には、国籍や事情もさまざまな人がいます。色んな人の人生観や歴史、それに触れることが、自分自身の生きる力に繋がっていって、そういうことを子どもたちにも伝えていけたらと思っています」。

これからのヤシノキが目指したい場所


子どもたちが描いた絵

 発達障害を持つ子どもたちには、ゆっくりでもいい、経験を積んで出来ることを積み重ねていくことを大事にしてほしい、というのが施設のモットー。「人とつながる力を持っていれば、生きていく場所がつくれるはず」という庸惠さん。
 大永さんも、次の目標をこう語ってくれました。「ここに通うこどもたちのために、社会の一員として働ける場所を作ってあげたい。自分の役割があると思える社会が何より必要だと思うんです」。
 子どものときから積み重ねてきた尼崎のまちでの地域のつながり。今、そのつながりを生かして施設を運営する大永さん。自身が体験してきたことを、未来の子どもたちへとつないでいきたいとの思いがあふれていました。

(プロフィール)
おおなが・やすえ 尼崎市生まれ。18歳で第一子の女児を出産するが、4歳で亡くす。24歳で、男児、翌年には女児を出産。2005年から始めた「子育てサークル姫パラ」の活動を続けながら、放課後等デイサービスヤシノキを運営する。2年前から、通販雑誌のプラスサイズモデルの活動も。