創業 100 年、老舗銭湯の湯を沸かし続けて

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大将、女将、大女将…家族で守る店の番台


(黒木達也さん(59)、久美子さん(53)、功子(いさこ)さん(90)/銭湯経営者)

 尼崎の東の端、杭瀬のまちに尼崎屈指の激渋銭湯、第一敷島湯はあります。創業は 1923 年、唐破風(※)の玄関を持つ銭湯は、関西でも数軒しかないといわれます。番台や脱衣所、浴室のタイル絵からもレトロな雰囲気が漂います。この銭湯の息子として生まれ、若くして大将となり湯を守り続けてきた黒木達也さんに、第一敷島湯のこれまでの道のりを聞きました。
※唐破風(からはふ)…曲線上にした屋根の造形で、日本の伝統的な建築技法の一つ

 現在、第一敷島湯の営業時間は 16 時から 23 時まで。母の功子さんと、妻の久美子さん、達也さんの家族だけでお店を切り盛りします。

 入り口の暖簾をくぐって玄関を入ると、男湯と女湯の間には番台があります。開店からしばらくの時間、番台に座るのは功子さん。いつも変わらない柔和な笑顔で「いらっしゃい」とお客さんを迎えてくれます。90 歳を越えた功子さんの負担を減らすため、看護師として働く妻・久美子さんは仕事から帰宅すると番台を交替します。

大正時代から続く銭湯を家族で引き継ぐ


昭和40年当時の入浴料を示した看板

 1947年、金楽寺で銭湯を経営していた達也さんの祖父が、第一敷島湯を前の経営者から引き継ぎ、黒木さん一家は杭瀬に引っ越して来たそうです。「僕が生まれたときは住み込みで働く人も居たし、親戚も一緒に手伝っていて、何人で住んでいたか覚えていないなぁ」というくらい大家族の中で育ちました。


壁面のタイル絵や円形の主浴槽、豆タイルもレトロな雰囲気を醸し出す(男湯)

 高校卒業後は大阪で自動車部品を扱う工場に勤めていましたが、先代の父が病に倒れ、23 歳という若さで銭湯を継ぐことになりました。

重油高がきっかけで釜炊きは薪に


小さく切った薪をくべる釜場こそが達也さんの主戦場。開店の 2~3時間前から火を入れる

 15 年ほど前から重油価格の高騰で、経費削減のためお湯を沸かす燃料の一部に廃材の薪を使い始めました。さらに 2018 年の台風 21 号では、釜場(湯を沸かすためのボイラー室)の屋根が飛ばされ、配管も大きな被害を受けました。それ以来、重油が使えなくなり、薪だけで湯を沸かすようになりました。

 営業時間中の達也さんは、釜場から目を離せません。特に冬場は風呂の温度を見ながら、 10~15 分おきに釜場と脱衣所を行き来して、風呂の温度を保ちます。使う薪の量は、1 日で軽トラック 1 台分くらいにもなるそうです。

 「重油を使ってたら、とっくに廃業でした」という達也さん。重油代が節約できたとはいえ、その分、作業コストは大きく増えました。重油を使っていたとき、釜を見るのは営業時間中5~6回程度だったのが、現在は 30 回以上にもなります。さらに、達也さんは主に市内の 2 か所から廃材を分けてもらっていますが、先方の都合に合わせて引き取りに行くため、「今日、引き取りに来て」と急に言われることも。開店前には、薪の引き取り、薪の整理や裁断、風呂掃除と仕事は途切れなくあります。

100 周年とともにやってきた大ピンチ


リターン品のひとつ「下駄札」は、久美子さんが仕事の合間を縫って作ったもの

 時代の変化や災害も乗り越えて何とか経営を続け、2023年には100周年を迎えた第一敷島湯。2020 年からのコロナ禍以降は、自宅で入浴する人が増えたからか、お客さんは減少していきました。

 数年前からは、ろ過機の故障に加え、2023年には配管も故障。その修理費用の負担に「廃業」の二文字が頭をよぎりましたが、何とか踏ん張ろうと家族で決め、初めてクラウドファンディングに挑戦することにしました。 そんな最中、達也さんが病気で緊急入院。この大ピンチに達也さんのお兄さんや銭湯ファンらが大勢応援にかけつけました。久美子さんと息子たちは、入院先の達也さんから釜の炊き方の指南を受け、何とか最小限の休業で乗り越えました。

 そして、2023 年 3 月から 4 月にかけてインターネットを通じて行ったクラウドファンディングには、200 人以上の方々から寄付が集まり、見事 140 万円の目標金額を達成。寄付額に合わせたリターン品 (お返し)作りには久美子さんが知恵を絞りました。日頃、やりとりしている銭湯ファンの意見を聞きながら、「釜炊き体験」や焼き印入りの木製「下駄札」などが生まれました。

大将と女将の人柄に集まる銭湯ファンに囲まれて


多彩な趣味を持つ達也さんが、脱衣所に置かれたギターで一曲奏でることも

 第一敷島湯では 10 年ほど前から、脱衣所での落語会やマルシェなど、銭湯ファンとの交流を通して、多彩なイベントも開催してきました。

 毎日番台に座りながら、銭湯ファンの声に耳を傾ける久美子さん。「敷島湯という場所を使って楽しんでもらえることが嬉しい」と、お客さんとの会話からいくつもの企画が実現してきました。

 最近では、浴室のタイル絵と並んで、知り合いのイラストレーターが敷島湯のオリジナルキャラクター「敷島ゆゆら」を描き下ろし。浴室に掲示された「しきしま通信」は、銭湯ファンら 5 名ほどのメンバーで編集部を結成して、銭湯にまつわる思い思いの記事を書いています。

 今、達也さんは、これからの第一敷島湯の存続方法を模索しているといいます。

 「母も高齢なので、今の家族経営ではあと何年続けられるか。店は残していきたいけど、誰かに経営を託す方法、建物は生かして別業態として存続する方法はないか、とか…」と、思いを巡らせています。流行りのサウナも新しい設備もないけれど、よく手入れされたシンプルなお風呂と、遠方からでもわざわざ会いに行きたくなる大将と女将の人柄。今日も達也さんはお客さんのために釜場に立ち、熱い湯を沸かしてくれています。


タイル絵のある浴室の様子

浴室のカラン

玄関の様子

番台に集まる黒木さん一家

女湯の脱衣所の様子

脱衣所から見える坪庭の様子

脱衣所でインタビューに応じる黒木夫妻

薪にする廃材を切断する黒木さん

釜の温度を示す器具

(プロフィール)
くろき・たつや、くみこ、いさこ  三人兄姉の末っ子として生まれた達也さん。かつてはレーシングチームに所属していたほどの車好き。妻の久美子さんとの出会いは、所属していたテニスサークルだった。久美子さんは看護師の仕事をしながら、不定期だが脱衣所でヨガ教室の開催も。大女将の功子さんに会うためには、一番風呂に入りに来るのがおすすめ。