尼崎で“優しい世界”をテーマに表現し続ける、アーティスト

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写真、杭瀬公園前にある材木店の壁面に描かれた天使の絵。その横に立ち、天使から花を受け取るポーズをとる上川さん
上川彩さん(43)/アーティスト

 阪神杭瀬駅から歩いて7分、杭瀬公園前にある今井材木店の壁面に描かれた天使の絵。天使は公園を見守り、人々を癒す花々を咲かせています。その花々が風に舞って散り、公園にあるキリンやラクダの遊具、ブランコ、すべり台、ベンチへ。優しくて温かな世界が広がっています。

 杭瀬を盛り上げる活動グループ「杭瀬アクションクラブ」から相談を受け、一帯の壁面・遊具ペイントをプロデュースしたのは近所の「シェアアトリエBambi(バンビ)」。この『小川の天使シウニン』とその世界観をメインで描いたのは、アーティストの上川彩さんです。

 上川さんは生まれも育ちも武庫之荘。就職して通勤に片道1時間半ほどかかっても地元を離れず、その理由を「遠くに六甲山が見え、まちなかに畑が残る、ほのぼの感がいい。何より、生まれ育った場所だからこその安心感があるから」と話します。しかし、暮らし慣れたまちの真のおもしろさに気づいたのは、子育てがきっかけでした。

銭湯のおばちゃんのおせっかいで“生き返る”思い


写真、シェアアトリエBambiで取材を受ける上川さん

 以前はファンシー雑貨の企画・製造会社でデザイナーをしていた上川さんは会社を退職後、2児の子育てをする日々の中で、家に引きこもりがちになっていた時期があったそうです。

 「私のキャパが小さすぎるんです。1人の生命と向き合うだけでも精一杯なのに、2人だなんて完全にキャパオーバー。自分を責めまくる日々で、外に出ることも人に会うことも恐くなってしまって」

 がちがちに凝り固まった心身をほぐすには温活がよさそうという情報をキャッチし、救いを求め、家族全員で市内の銭湯巡りを始めました。すると、銭湯のお湯と脱衣所のおばちゃんたちのおせっかいの温かさで、上川さんの心も身体も少しずつほぐれていきました。

 人生の先輩であるおばちゃんたちとの一期一会の社交場で、上川さんは自分の感情と出来事の関係性をはかる実験を試みるように。「私が『こう思われるんじゃないか』とビクビクした気持ちで行くと、そうなる・・・。私の感情が先にあって、それに見合うように何事も捉えてしまうので、自分の心の持ち方を整えてから外に出れば大丈夫なんだと気づきました」

好きや得意を生かす、尼崎の人たちに刺激を受けて


写真、シェアアトリエBambiで取材を受ける上川さん。絵の説明をしている

 おばちゃんの懐を借りて心の持ち方をトレーニングするのと同時並行で、得意の裁縫を生かして自作のグッズを販売するようになると、お気に入りの銭湯のひとつ、道意町の「蓬莱(ほうらい)湯」女将の稲さんがたまたま上川さんのSNSを見つけて、「うちで何かやりません?」との誘いがありました。以来、稲さんとの関係性ができて、蓬莱湯でのイベント参加を始め、どんどん外に出かけるようになっていきました。

 稲さんを通じて、武庫之荘にある「まごころ茶屋」の福田さんや杭瀬の「第一敷島湯」女将の黒木さんとの出会いがあり、さらには「シェアアトリエBambi」オーナーのBambiさんへと、上川さんにとって安心できる人たちがいる、安心できる場所が市内に増えていきました。そのほかにも、近所のおばあちゃんお手製のおでんをみんなで食べる会や90代のおじいちゃんの写真展など行く先々で、それぞれの好きや得意を生かし、心がわくわくすることに取り組む人たちとの出会いがありました。


ミニブックやオリジナルカード、アクセサリーポーチといった上川さんオリジナルグッズの数々

 「絵も裁縫も子どもの頃から好きだったのに、子育て中は集中して取り組めないのでやめたんです。それも自分を見失う原因になっていたかもしれません」。上川さんは自分の好きや得意を思い出し、絵を描いたり、グッズをつくったり、デザインをしたりしながら、人とつながっていくようになりました。

みんなの“おかげさま”でつくっていく世界


シェアアトリエBambiでBambiさん(写真左)と一緒に。基本的に、創作は自宅で行う上川さんだが、お子さんを連れて訪れ、ここで時間を過ごすこともしばしば

 中でも、シェアアトリエBambiのBambiさんとの出会いが、アーティストとしてのさまざまなチャレンジにつながっています。アーティスト仲間と出会い、デジタルで描く手法を学んだり、百貨店での展示会に参加したり。2024年秋にはBambiチームでニューヨークのギャラリーを借りて、展示会を開催する計画も。

 「誰かからの誘いは、自分には想定できないものがもたらされるので、未知の広がりがあっておもしろいんです。だから、『やります』とお受けするものの、本当は恐い!不安ばかり!ただ、私が出会った尼崎の人たちは『好きにしてくれたらいいから。何かあっても何とかなるから。大丈夫、大丈夫』と寛容。その安心感からチャレンジできています」


「『樹木が生い茂って薄暗く、ごみがポイ捨てされているなど、子どもが寄りつかなくなった公園を再びよみがえらせたい』との思いを受け止め、この世界観を描きました」と上川さん。ラクダやキリンの遊具に乗ると、『小川の天使シウニン』が見える

 冒頭の公園周辺の作品について話す中で、上川さんは「自分1人だったらできていないことばかり」と振り返ります。

 「Bambiさんとの出会いがあったから、関わることができました。下描きは私がしましたが、Bambiさんがペイント用の画材を用意してくれたり、色はアーティスト仲間や地域のみなさんも一緒に塗ってくれたり。壁画を描く時は足場を用意してくれた建設会社の方々がいて、ラクダやキリンの遊具は『天使の方角に向けたほうがきっといい』と考えて調整してくれた工事会社の方々がいて・・・この“優しい世界”を表現できたのは、みんなのおかげです。素敵な人たち、理想から現実をつくり出す頼もしさ、『楽しい!』を忘れない大切さ、希望、光、そんなものをたくさん感じさせてくれました」

 そんな日々の出会いや積み重ねが、一生涯かけて取り組む“優しい世界”というテーマにたどり着く、1つのきっかけになったのです。

“優しい世界”への入口はすぐそばに


上川さんの“優しい世界”の表現方法は「絵に描くこと」だけではない。グッズをつくる、個展を開催する、マルシェを主催するなど、多岐に渡る

 上川さんが描いて広める“優しい世界”とは、「自分らしく生きる人たちがゆるやかにつながって、互いを尊重し合い、助け合い、補い合える世界」。これが上川さんの理想であり、銭湯のおばちゃんのおせっかいや尼崎で活動する人たちとの出会いなどの実体験にも基づいて、この世界観を「優しい世界MAP」で描いています。


上川さんが描いた「優しい世界MAP」

 現在もバージョンアップし続ける「優しい世界MAP」には、「生命の泉/温泉わいてます。疲れた時はまずあたためよう」「のうえん部/半数以上の住人が畑をやっている」「風の丘/アートペイントやライブペイントで小さいうちからアートにふれることができるよ」など、実在する蓬莱湯や第一敷島湯といった銭湯、武庫之のうえん、シェアアトリエBambiを彷彿とさせる描き込みがあります。

 「大丈夫、大丈夫!」「肩の力を抜いて、自分らしく生きてみませんか?」。そう呼びかけてくれる“優しい世界”の入口は、尼崎のあちらこちらに存在しているようです。


写真、シェアアトリエBambiで取材を受ける上川さん。ミニブックを見せる様子

写真、材木店の壁画。小川の天使シウニン

写真、杭瀬公園のブランコ。ところどころに黄色い花の絵

写真、杭瀬公園のベンチ。上川さんとシェアアトリエBambiのサイン入り

写真、シェアアトリエBambiの内観

写真、シェアアトリエBambiの内観

(プロフィール)
うえかわ・あや 尼崎市出身・在住。デザインの専門学校在学中からファンシー雑貨の企画・製造会社に勤務し始める。2011年の東日本大震災を機に、自分の生き方を見つめ直す決意をし、約10年勤めた同社を退社。2017年に当初は自分用に作った「オマタカイロ」を商品化してネット販売するように。2019年に「優しい世界」というテーマを掲げ、さまざまな表現方法で作品などを発表し始める。創作のほか、デザイナーとして名刺やチラシといったデザイン、クリエイターとしてミニブックやオリジナルカード、アクセサリーポーチ、ファブリックといったグッズの企画・製造・販売も手がける。
【Instagram】優しい世界art(@yasashiisekai2023)