「参加者同士でもっとじっくり話をしたい」とリニューアルされた談話室が、いよいよ本格スタートしました。5月には哲学者・谷川嘉浩さんをゲストにお迎えし、哲学談話のマナーやその楽しさを学びました。その際に選ばれた第1回のテーマは、なんと「純愛」。年代も立場もさまざまな参加者たちが、このキーワードに挑みました。

この日の参加者は総勢16名。まずは車座になって自己紹介からスタート。「哲学談話を勉強中。前回飛び出した“純愛”という言葉に心が撃ち抜かれた」「今日は思いきり語り尽くそうと思う」「“純”というのがポイントだと思う」など、気合のこもった声が続くなか、「尼崎大学に来てみたくて、今日は沖縄から来ました!」という大学生の姿も。えっ、今日にかぎってこの実験的テーマ!? でもようこそ、そしてありがとう。歓迎ムードの中、談話が始まりました。
哲学談話の三つのルール

哲学談話の前に、司会の藤本さんから三つのルールを確認しました。
1 話をさえぎらない
2 偉い人の言葉を使わない
3 「人それぞれ」ですませない
はじめての体験にちょっと緊張しながら、少しずつ言葉を紡いでいきます。
言葉が問いを生む。自分の言葉をそっと置いていく時間

「わざわざ“純”がつく意味は何だろう?」
「男女の愛だけじゃなく親子や人と動物の間にもあるのでは?」
「純度100%なんてありえるの?」
「高校時代、一緒に帰るだけで嬉しかった感覚」
「異性愛者ではない人にとっての“純愛”とは?」
「相手を信頼できる関係」
「純愛の言葉の逆は? 憎愛?」
「自分自身に向けた“純愛”って成立するのかな?」
問いが問いを呼び、参加者は慎重に選んだ言葉を輪の中にそっと置いていきます。場の空気がじんわりと温まり、「なんか、いい感じ」に。
家族、パートナー、推し…個人的な体験から普遍性を探る

30分ほどたったところで、4人1組に分かれてさらに深く語り合う時間へ。今度は個人的な体験も交えながら、それぞれの輪の中で新たな気づきが生まれていきます。
「見返りを求めないことが“純愛”じゃないか」
「でも家族やパートナーには、つい見返りを求めてしまうよね」
「孫が車にひかれそうだったら、きっと自分の身を投げ出してでも助けると思う。この瞬間は見返りのことなどを考えていないのでは」
具体的な誰かを思い浮かべながら、「ああでもない、こうでもない」と唸りながら、対話が続きます。
「“純愛”にも度合いがあるのでは?」
「日本酒みたいに“純米吟醸”とか“純米大吟醸”みたいな?」
「でも磨きすぎると、お米は最終的にはなくなる。純愛も突き詰めると“無”になるのかも?」
「神様への愛や信仰みたいなものをイメージした」
「“推し”への気持ちも、それに近いのかもしれない」
例え話やスケールが膨らみ、相手の言葉が次の言葉を引き出していく。そんな対話の楽しさがそこにありました。
結論のない終わりが心地よい

ちょうど1時間が経ち、哲学談話のルール「時間が来たら終わる」に従って終了。結論づけたり、まとめたりはしません。
「最初は恋愛の延長で考えていたけれど、他の人のまったく違う捉え方を知ることができた」という感想は、まさに哲学談話の醍醐味を表していました。
次回のお題は「友達の家に手土産はいるのか?」

最後に参加者の投票で決めた次回談話室のお題は「友達の家に手土産はいるのか?」
「純愛」から一転して話しやすそうなテーマですが、「そもそも友達って何?」「“手土産”の定義とは?」といった問いも潜んでいそうで、語りがいがありそうです。
初回から大盛況だった今年の談話室、今後も面白くなりそうです。
次回は8月20日(水)19時〜20時30分、あまがさき・ひと咲きプラザでお会いしましょう。
