2月6日(木)に「発達障害の子どもへの学びの支援」をテーマに学ぶ会を開きました。ゲストは(一社)子ども・青少年育成支援協会理事の村中直人さん。この会をきっかけに「みんなの尼崎大学」を知ったという方も多く、テーマへの関心の高さが伺えました。
ゲストプロフィール
村中 直人氏(一般社団法人 子ども・青少年育成支援協会 理事)
公認心理師・臨床心理士。公的機関での心理相談員やスクールカウンセラーなど主に教育分野で勤務し、発達障害、不登校など特別なニーズのある子どもたち、保護者の支援を行う。支援を行う中でニーズに対する支援の少なさを実感し、(一社)子ども・青少年育成支援協会の設立に参画。「あすはな先生事業」の立ち上げに従事し、特別なニーズのある子どもたちや保護者への支援を多数行う。現在は同法人の理事として全国に正しい知識を持った理解のある支援者を増やすべく「発達障害学習支援サポーター」の育成に取り組んでいる。
ラーニングダイバーシティとは、いつどこで誰と何をどのように学ぶのかという、学びの多様性のこと。今回は、そんな多様性の話から、発達障害の子どもたちの学びについて、お話しいただきました。
「学びの機会の多様性」と「学びの方法の多様性」の二つを比べてみたとき、「学びの機会の多様性」については社会的に問題意識が生まれている一方、「学びの方法の多様性」についてはどうでしょうか。
今、子どもたちは生まれた時期によって区切られた学年という集団の中で、同一の基準で教育を受け、画一的な「解の出し方」を教えられ、その通りに問題を解くことが求められます。
そんな教育システムは明治以降、ほとんど変化がありません。
時代はすごい速さで変化を続けていて、ほんの20年前になかったスマホやSNSの存在が当たり前になっています。かつては100年かかったような技術革新が、10年単位で起きているのです。
「2011年に小学生になった子が大学を卒業する際、彼らの65%は今は存在しない仕事についている」というアメリカの研究者のレポートもある中、「何を学べばいいか」なんて誰にもわかりません。これからの時代で重要になってくるのは、何を学んだかという「知識」や「技能」ではなく、「学び方」を学べているかということです。これからの変化の激しい時代を生きていくためには生涯にわたって学習を続けていくための、「学ぶ力」が必要になります。
一方で、知的発達に遅れはないものの発達障害をもつ可能性がある子どものうち、およそ7割は学習面で著しい困難を抱えているという文科省の調査があります。
普通学級のある意味「高い学習要求水準」についていけない子どもたちがいる一方で、特別支援学級の学習要求水準もまた、問題になっています。普通学級と特別支援学級では受けることのできる教育に大きな差があります。
2極化したやり方ではなく、「要求水準の柔軟性」と「方法論の柔軟性」をもつことで、学びの方法に多様性が生まれるのです。
脳科学の見地から、脳の特性は人によって様々で、脳回路の数だけ、細かく得手不得手があるそうです。
例えば、ただ板書を写すという単純な作業であっても
・黒板を見る
・手元を見る
・明暗を変える(黒板の色からノートの色へ)
・形を認識する
・形を文字として認識する
・一瞬記憶に残す
・記憶をもとに手を動かす
こういったたくさんの能力を組み合わせることにより、「板書を写す」という作業ができます。
どこかの能力に支障があると作業はできないけれど、どこに支障があるのか、どこで躓いているのかは一人一人違います。
脳の特性は様々で、答えはわかるのに、「何故そうなるのか」を説明することができない子や、数字の「6」と「8」の見分けがつかないことが原因で、計算問題を間違える子もいます。
「これができなければ、これはできないはず」という画一的な過程が、今の教育では多いようですが、九九を暗記することは苦手でも、計算能力が高く、一瞬で答えを導き出せる子もいるように、発達障害を持つ子どもにとってその過程は当たり前のことはありません。
「できない」ことを「本人の努力が足りないから」と決めてしまうことで、勉強につまづき、学校へ行きたくなくなり、不登校のきっかけになってしまうこともあるそうです。
お話を聞いて、学年という集団の中で同一の基準で教育を施し、同水準の結果を求めるという今の教育には限界が来つつあり、より一人一人に合った学び方を探ることができる時代が来たのではと感じました。
個人にあったやり方や方法を探し、学びの方法の多様性を認め、尊重していくことが、これからの社会で当たり前になっていけばいいですね。