みなさんは「尼いも」を知っていますか?「尼」は尼崎の尼、「いも」はサツマイモの芋のことで、「尼いも」は尼崎で栽培されている伝統野菜です。
今回は水堂小学校で、尼いもの植え付け体験が行われるということで、小学校にお邪魔してきました。
尼いもをきっかけに尼崎の歴史を学ぶ
「尼いもってなにか分かる人いますかー?」という桃谷さんの質問に、「はぁーい!!」と元気に手を挙げる小学生。ここは、水堂小学校3年生の授業です。毎年6月〜7月に水堂小学校を含む市内の小学校で、尼いもの学習が行われています。今日は、尼いもの勉強と植え付け体験です。
マイクを持って小学生に説明するのは、尼崎市立文化財収蔵庫の桃谷和則さん。桃谷さんは、「尼いもクラブ」の一員として小学生などに尼いもの普及を行っています。尼いもクラブの発足から活動を開始し、今年で18年目になりました。現在は主に桃谷さんが種芋の管理を行っていて、毎年小学校から授業の依頼があるそう。水堂小学校での授業も、10年以上続いています。
そもそも尼いもってなに?
「尼いもは、江戸時代から昭和初期まで、尼崎市の沿岸部で栽培されていた伝統野菜。甘く美味しかったので、高級品として京阪神の料亭向けに大量生産していました」。サツマイモは秋に収穫する品種が一般的ですが、尼いもは夏に収穫しており、それが珍しかったために日本国内はもちろん、中国や韓国でも広く知られていたのだとか。
「でも大きな台風が2回来て、5メートルもの高潮で尼いもは流されてしまいました」と桃谷さん。毎年種を撒く栽培方法の植物であれば、もう一度再生させることができますが、尼いもは収穫した芋の一部を種芋として保管し、次の年はその種芋から伸びたツルを苗にします。そのため高潮で尼いもが全て流されてしまうと、次の年は栽培できなくなってしまうのです。そうして、尼崎のまちから尼いもが姿を消しました。
復活までの道のり
それから時は経ち、2000年。昔、尼いもをおやつとして食べていた人から「もう一度尼いもが食べたい」という声が上がりました。2001年には尼いも復活を目指す市民団体「尼いもクラブ」が発足し活動が本格化します。
「尼いもを知るおじいちゃん、おばあちゃんに、どんなサツマイモだったのか聞くと、『とにかく甘かった』や『鉛筆みたいに細かった』という話があったんです」。当時の尼いもは高級品だったので、大きいものは売りに出され、売り物にならない「くず芋」と呼ばれる細い芋が子どものおやつだったのです。
そんな昔の記憶を辿り、尼いもと似た品種を日本全国探し求めました。しかし、尼崎で栽培されているサツマイモを総称して「尼いも」と呼んでおり、特定の品種ではなかったそう。「主に『尼ヶ崎赤(あまがさきあか)』や『四十日藷(しじゅうにちいも)』などが栽培されていたのではないかと言われています。その中でも「四十日藷」を尼いもの一種として、尼いも復活のために栽培を開始しました」と説明は続きます。
昔は尼崎の沿岸部で栽培を行っていましたが、現在は主に阪急沿線よりも北側の農地を借りて栽培をしています。収穫した尼いものほとんどは、焼酎の原料に。「尼いも自体の販売はしていないので、食べるチャンスはほとんどありません。でも皆さんは、自分で収穫した尼いもを食べることができますよ」との声に、子どもたちは歓声を上げていました。
植え付け体験をしてみよう
桃谷さんの説明の後は、実際に苗の植え付け体験を行いました。苗は、種芋から伸びたツルを1本ずつちぎったもの。ツルの途中から根が出るので、ツルが横たわるように植えます。植えたときは30センチほどだった苗も、ぐんぐんと伸びていき1メートルぐらいになるそう。そのころには、根も大きな芋になります。
長年さまざまな学校で授業を行ってきた桃谷さんですが、これまで採れた尼いもの中で一番大きなものは、なんと1.4キロもあったそう。子どもたちは「それよりも大きな尼いもを作りたい!」と意気込んでいました。
「小学校に授業に行くようになってから、尼いもが子どもたちに広く浸透していると感じます。まちを歩いていると『尼いものおっちゃん!』と子どもに声をかけられることもあるんですよ。子どもたちには、尼いもの名前だけでも知ってもらえたらと思います」と手応えを感じている桃谷さん。
これから収穫に向けて、理科の授業の中で尼いもについて学びます。授業から収穫、尼いもの実食までを追った様子も、尼ノ学びでご紹介します。さて、大きな尼いもを育てることができたのでしょうか。
【尼ノ國】伝統野菜で尼崎を知る 「食べる教材 尼いも」(授業編)
【尼ノ國】伝統野菜で尼崎を知る 「食べる教材 尼いも」(苗植え編)
※伝統野菜「武庫一寸」「尼藷」「田能の里芋」(市役所/外部リンク)