すぐ引っ越すはずだった武庫之荘に6年暮らし、本屋を開いた理由

  • LIFE

 2023年10月、武庫元町の商店街に“つくれる本屋”「DIY BOOKS(ディーアイワイ ブックス)」を開店した平田提(だい)さん。店内には新刊や古本のほか、大型の印刷機が置かれ、自費出版本づくりをサポートしてくれます。秋田出身の平田さんが、どうやって武庫之荘に出会い、暮らし始め、さらに本屋を開いたのかを教えてもらいました。

武庫之荘のまちに住みついたのは消極的理由からだった


DIY BOOKSの店内の様子
(写真:座間雄貴)

 はじめはすぐ引っ越そうと思っていました。それがいまや武庫之荘のまちに店を開いてしまったのだから不思議です。素直に言えば、今は武庫之荘が好きだから、住んでいる。ここで働いている。そこに至るまでのお話をします。

 武庫之荘の町に住みはじめたのは、消極的理由からです。妻と結婚した当時、僕が大阪勤務で、妻が神戸方面。同居をはじめるなら両方にそこそこ近い、阪急の駅の近くがいい。最初は西宮北口周辺で賃貸物件を探すも、家賃の高さに驚愕。ひと駅東の武庫之荘に行くと、かなり下がることがわかりました。

 武庫之荘の駅から歩いてみるととにかくスーパーが多いのが気に入りました。KOHYOに阪急オアシス、フレスコ、マルハチ、サンディ、マックスバリュー……。薬局や病院も多く「住みやすいんじゃない?」と、住むことに決めたのでした。

武庫元町と西武庫公園に引き止められた


西武庫公園の桜。花見の時期は出店も出て賑わいます

 しばらくして長男が生まれると、やっぱり西宮に移ろうか……なんてまた考えはじめていました。そのとき僕は仕事に疲れて、心身のリフレッシュのために散歩を習慣にし始めたところ。いつもは線路沿いにある二本松公園を通って駅まで歩くルートでしたが、その日は北に向かってみました。

 そして武庫元町商店街にたどりつきます。シャッターが閉じた店もあるけれど、「泉温泉」なる銭湯や、ペットショップ「みのや飼育園」がある。なんだか懐かしい風景です。スーパー「モンマルシェ」に入ってみると、レタスもカボチャも質が良い。

 六甲山の見えるところまで行こうとして、西武庫公園を見つけました。青いジャングルジムや赤と黒の機関車の遊具。みんなでつくる花壇。池や水路をカモがのんびり泳いでいる。日本初の交通公園ともいわれることを後から知りました。武庫元町と西武庫公園の存在を知って、なんだか武庫之荘から離れがたくなりました。

「ロクパ」や「ブラウンコーヒー」に胃袋をつかまれた


南武庫之荘「ロクパ」のカレー。ガツンと来るスパイスとボリュームがたまらない

 それに僕は胃袋もがっちりつかまれてしまいました。南武庫之荘にあるスパイスカレーのお店「ロクパ」。花山椒のキーマ、ひよこ豆のカレー、味噌やココナッツのカレーなど、濃い味だけど、なんだか胃腸が喜ぶ。店長の早川さんの人柄もとにかく良いんです。

 ロクパの近くにあるカフェ「ブラウンコーヒー」はマスターご夫婦の好きなモノがはっきりしていて、いい。僕が大好きな雑誌「relax」がさりげなく置かれていて、ソニック・ユースやマイク・ミルズといったゼロ年代のアメリカのシンプルでクールな文化が店に体現されています。ヘーゼルナッツラテも、コンビーフサンドもおいしいです。

 やがて新型コロナウイルスが流行し始めると、いよいよ武庫之荘から出られなくなりました。電車やバスに乗って梅田や三宮に出ようものなら、白い目で見られる時期だったのです。実際、感染が増えて外を出歩くべきではありませんでした。あの時期は僕だけじゃなく、みんな苦しかったはずです。

カズオ・イシグロがいう「縦の旅行」の大事さ

 『わたしを離さないで』『クララとお日さま』のノーベル賞作家カズオ・イシグロがコロナ禍になってから、こんなことを言っていました。

 私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。

(東洋経済ONLINE2021年3月4日の記事より)


 この発言は保守とリベラルをめぐるネット上の争いによく引用されているけれど(実際イシグロはこの発言の前段でリベラルやインテリに警鐘を鳴らしているが)、僕は言葉どおりに受け取りました。そして感動しました。

 僕はその頃独立し、武庫之荘から遠く離れた東京や海外の人とパソコン上のチャットなどリモートでのやりとりをして、ライターや編集者として誰の役に立つか分からないWebメディアの記事を量産していました。気づけば一日、誰とも話さないまま家に帰る。だだっ広い事務所で、孤独でした。

 「横の旅行」や机上の空論、フィールドワークのないコタツ記事ではダメだと気づいていました。同じまちでコロナ禍に苦しむ人と話したい。スーパー「マルハチ」で安くなったキャベツの値段に喜べる人、二本松公園に捨てられたゴミをどうするか一緒に考えられる人が必要でした。

コロナ禍で武庫之荘の人と話す機会が増えた


武庫町の喫茶店「ぎょもん」のシュークリームセット

 武庫之荘から出なくなってから、まちの人と話す機会が増えました。コロナ禍の大変さはもちろんだけれど、いろんなことを話します。「ロクパ」の早川さんと、マンガ雑誌について。武庫町の喫茶店「ぎょもん」のママさんと愛犬ふくちゃんのクセについて。畑のおじさんとキュウリの収穫について。

 僕は昔から内省ばかりが多くて頭でっかちな人間でした(実際、大概の野球帽が入らないぐらい物理的にも頭はでかいのです)。このまま武庫之荘の人と話していなかったら、頭が破裂してどうにかなっていたかもしれません。

 同時に、暮らしにディテールが増える大事さを武庫之荘のまちの人と接して学びました。

 文章にはディテールが大事だ、とナタリー・ゴールドバーグが『魂の文章術』のなかで言っています。詳しく書くことは、そのとき世界にあるモノ、起こっているコト、目の前にいるヒトと言葉やしぐさ、それに気づく自分を肯定することになる。書けば自分の足跡が確かに残る。

 コロナ禍以降その随筆をよく読むようになった寺田寅彦も、大好きな映画『パターソン』の主人公も、書くことを通じて、日々の自分の考え方をより敏感にしていっています。随筆家的なあり方は、自分の生活やまちをつぶさに見るまなざしを育ててくれるのです。

武庫之荘から随筆的に暮らす人を増やしたい


DIY BOOKS1階。本棚や壁のしっくい塗りはガサキベースさんほか、有志の皆さんに手伝っていただいた。トークイベントや落語会もやっています(撮影:座間雄貴)

 ローカルな最寄り駅じゃなくて、武庫之荘。カレー屋さんじゃなくて、ロクパ。カフェじゃなくて、ブラウンコーヒー。そういう、ディテールが自分の生活に増えていく。

 随筆的な人生がいい。心からそう思いました。なるべくスマホから離れて、自分が感じる時間を大切にする。

 抽象的な「こそあど」言葉が多かったリモートの人間関係から、僕は抜け出しました。そしてまちの人、まちで働く人の役に立ちたいと思うようになりました。それが自分の幸せになる。さらに、書く人が、随筆家が増えたら、そんなまちで過ごせたら、暮らしがもっと豊かになりそうだ、と。

 やがて立花の小林書店、みんなの尼崎大学、杭瀬の古本屋・二号店、パイナワーフ、ガサキベース……「縦の旅行」をして尼崎の面白い人たちと出会っていったら、いつの間にか僕は武庫元町に本屋「DIY BOOKS」をつくっていました。武庫元町を、もっと良いまちに、書く人を増やしたい、と考えるようになりました。


DIY BOOKS2階。ZINEスクールやもくもくとみんなで「書く日」などイベント・ワークショップを開催(撮影:座間雄貴)

 本屋は出版社によって定価が決められてしまうために利益率が低く、続けていくのが過酷な商売です。ただ、うちの店は普通の本屋ではありません。「つくれる本屋」です。書くこと、本をつくることを大事にするため、営業形態や在り方は変わっていくでしょう。でも武庫元町や武庫之荘の人に魅せられて、随筆家を増やしたくなった思いは変わりません。

 まだまだ武庫之荘から離れられません。離れなくていいんですけれど。


テーブルの上に置かれた、筆者の著書「武庫之荘で暮らす」

 このようなお話を、店にある大型の印刷機で刷って、『武庫之荘で暮らす 町の私的ガイドと、「つくれる本屋」をつくるまで』という本にしました。DIY BOOKSで手に取っていただけます。お越しをお待ちしております。


DIY BOOKSの店舗外観

店内で作業する平田さん

本棚のロゴ

(プロフィール)
取材・文:ひらた・だい
DIY BOOKS店主。株式会社TOGL代表取締役社長。Web編集者・ライター。秋田県生まれ、尼崎市武庫之荘在住。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。ベネッセコーポレーション等数社でマーケティング・Webディレクション・編集に携わり、Webサイト・メディアの立ち上げ・改善やSEO戦略、インタビュー・執筆を経験。2021年に株式会社TOGLを設立。2023年10月からDIY BOOKSを開店。リソグラフを使ったZINEづくり(個人やグループなど有志での出版活動)などを続けている。

ホームページ:https://diybooks.jp
インスタグラム:@diybooks