商店街の人たちが、わたしを母親にしてくれた

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「商店街と銭湯のある町」という条件で立花を選んだ黒田さん。14年の立花生活で出会った人たちの優しさ。電気屋や煎餅屋、美容室など黒田さんが見つけた居場所を紹介してくれました。


写真、立花商店街の中で笑顔の黒田さん。中に中田屋さんのオリジナルTシャツを着込んでいる。

ラーメン屋の上から始まった、立花での暮らし

結婚して住む場所を探すとき、条件はたったひとつ。「商店街と銭湯のある町」。夫は「どこでもいいよ」と言ってくれたので、JR沿線の気になる駅で降りては、2人で歩いてみた。JR灘駅、JR甲子園口駅……そしてJR立花駅。北側にアーケードが伸び、少し外れたところに「ゆ」と書かれた銭湯の煙突が見えた。歩くうちに昔ながらの店の活気に引き込まれ、いつの間にか「立花商店街」の中にいた。

最初に住んだのは、立花商店街のアーケードを抜けた先にあるビルの3階。1階には地元で評判のラーメン屋が入っていて、夜になると換気扇からスープの香りが漂ってきた。その部屋で、わたしの立花生活は始まった。

ちょうどいい立花の距離感


写真、立花駅から歩いてすぐのところにある「ふくずみ温泉」の建物
小さい息子を連れて何度か訪れたのが、立花駅から歩いてすぐのところにある「ふくずみ温泉」

JR立花駅は、JR尼崎駅からひと駅西。大阪駅まで電車で約10分。各駅停車しか止まらないぶんホームも混みすぎず、日常使いにはちょうどいい。職場がどちらも大阪だった夫婦には、理想的な立地だった。

駅の北側にはアーケード、南側には駅ビルの商業施設と、表情がふた通りある。立花商店街には、本屋、お菓子屋、写真屋、喫茶店、パン屋、美容室……暮らしに必要なものが徒歩圏内にぎゅっと収まっている。昔ながらの店と新しい店が自然に共存していて、その絶妙なバランスが心地いい。

「魚が買える電気屋」と「傘も売る本屋」


写真、筆者が寄稿した尼崎南部再生研究室が発行するフリーマガジン『南部再生』の記事。
『南部再生』は尼崎南部再生研究室が発行するフリーマガジン。尼のおもしろいネタが満載で、ここからたくさんのことを学ばせてもらった

立花商店街について、2017年に「南部再生」という雑誌に寄稿させてもらったことがある。取り上げたのは「でんきの大島」と名物書店「小林書店」の2軒だ。

「小林書店」は、阪神・淡路大震災をきっかけに、あの「Waterfront」の傘を販売する日本最初の書店となったところ。10坪ほどの店内に本と傘が並ぶ、唯一無二の風景があった。残念ながら今はもうお店を閉められたけれど、先代から店を継いだ小林さんご夫婦が長年積み上げてきた歴史は、商店街の記憶としてしっかり刻まれている。

「でんきの大島」は電気屋なのに、毎週月曜に舞鶴直送の鮮魚が並ぶことで評判だった。店主・大島さんの御両親が暮らす舞鶴へ帰るついでに、友人の定置網から仕入れてくるのだが、いつも夕方には売り切れる人気ぶり。そこで働く井村さんが舞鶴の魚や野菜でつくる惣菜もまた格別だった。現在は冬の牡蠣(かき)シーズンのみ、殻付き牡蠣を販売している。

※南部再生の当時の記事は、尼崎南部地域の情報誌『南部再生』で読めます。

電気屋さんで尼崎の母に出会った


写真、井村さんの自宅で裁縫をしている筆者。
井村さんの自宅での裁縫風景。本格的なミシンでの作業は楽しい。次は娘の手提げを縫う予定にしていて布も買っている。会うと「いつ縫いに来るの?」といつも聞いてくれる

息子が生まれたのは、越してきて2年ほど経った頃。育休で仕事を離れると、友達もいない土地で社会から切り離されたような感覚になった。初めての育児は何もかも思うようにいかない。田舎から手伝いに来てくれた母を見送るとき、ぐっと涙をこらえた。
 
そんな私に声をかけてくれたのが、「でんきの大島」で働く人たちだった。私の母と同じくらいの年代のその人たちが、気づいたら私の居場所になっていた。
 
息子は井村さんに抱っこされるとすぐ寝てくれた。その間に、わたしはコーヒーを入れてもらい、魚のさばき方や料理を教わった。息子が小学校に入るときは自宅のミシンを貸してくれて、手提げ袋、ランチマット、上履き入れ——井村さんの言う通りに手を動かしたら、いつの間にか完成していた。ついこの前も娘の入学セットを作りに行ったばかりだ。庭で採れた野菜もよくいただく。気づけば井村さんの娘さんとも仲良くなり、今も定期的に会って、ただただしゃべりまくる時間がある。
 
私は、井村さんのことを尼崎の母だと思っている。最近、息子が井村さんのことを親戚だと思っているらしいと知った。あながち間違いでもないので、訂正しないでおこう。

家族のヘアスタイルは「Vogue(ヴォーグ)」でつくられる


写真、美容室ヴォーグでの様子。
ミワコさんとカズくん親子。たまたまお客さんで来られていた方が井村さんとミワコさんの畑友達だった

井村さんの友人で、アーケードを抜けた先の立花ショッピングセンター街にある美容室「Vogue(ヴォーグ)」を営むミワコさんと息子のカズくん。2人で切り盛りしているこのお店に、幼い息子の初めてのカットをお願いしたのが始まりだ。今では家族全員——わたしも、夫も、息子も、娘も——ヴォーグでカットしてもらっている。
 
わたしと同い年のカズくんとは、共通の趣味である映画の話をよくする。体調を崩してしんどい時期に「カラーして気分変えてみる?」と言ってくれたのをきっかけに、前髪だけブリーチ、表面だけピンク、ブルー、アッシュグレー……あれこれ試したカラーは数知れず。「その髪色ええやん」と褒めてもらうたびに、ヴォーグの話をしてしまう。

立花商店街のおしゃれ番長・中田屋さんのはなし


写真、手焼き煎餅屋、中田屋での様子。筆者と店主が談笑している。
淑子さんとの話は、毎回思わぬ発見があって楽しい。撮影の日はちょうど雄三さんが<玉子ビンズ煎餅>を作られていた。見惚れてしまうほど正確な手作業だ。カメラマンののりちゃんが、小学生の頃、雄三さんにソフトボールを教わっていたご縁もあって特別に入らせていただいた

商店街でもうひとつ欠かせない場所が、手焼煎餅の老舗「中田屋」さんだ。二代目・中田雄三さんが、ひとつひとつ手作業でお煎餅を作っておられる。いつも店頭に立つ妻の淑子さんは、息子が近所の保育園に通う頃から、前を通るたびに話しかけてくれる。いつ会っても素敵で、勝手に「立花商店街のおしゃれ番長」と思っている。オリジナルTシャツが売り出されたときは迷わず買った。  

コロナ禍に子どもとの過ごし方を悩んでいたとき、ポケモンGOを勧めてくれたのも、一時期どハマりしてきたゾンビドラマ「ウォーキング・デッド」の話で一緒に盛り上がってくれたのも、淑子さんだ。
 
大人気商品の<カステラ焼>は午前中に売り切れることが多い。わたしは<吹き上げ>と<ざらめおかき>が好きで、季節限定のチョコがけあられも外せない。田舎の父は<イカリ豆>のファンで、「中田屋さんのイカリ豆が一番おいしい」が口癖。それを聞いてから、帰省前には必ず立ち寄るようになった。

野球のチームTを着て、今日も立花を走る


写真、野球をしているこどもたちを応援する保護者の皆さん。こどもたちが所属する野球チームのTシャツを着ている。
厳しい日差しにさらされる季節、顔を覆う日除けマスクは必須アイテムだ。つけたまま水分もとれるし、首の後ろまでカバーされているのもポイント。撮影に協力してくれたのは、息子が所属する少年野球チーム「尾浜シャークス」の皆さん

商店街の中に住んで3年ほどしたところで、駅から少し離れた住宅街に引っ越した。妹も生まれ、お兄ちゃんになった息子は今、地元の少年野球チームに所属している。試合の応援、昼ごはん、練習の見守り——休日は朝から夕方まで、外で過ごす日々だ。最初は正直しんどかったが、そんな生活が3年以上続く今では、長い時間を共に過ごすチームの母たちとの関係は特別なものになった。毎週会っていないと逆に変な感じがするほどだ。野球とは縁遠かった夫も、今では真っ黒に日焼けしながら手伝いに行っている。


写真、自転車で走る黒田さん

立花エリアで、顔を覆う日除けマスクとチームTを着て自転車を走らせている人間がいたら、それはわたしかもしれない。……いや、似たような母たちは結構多い。尼は少年野球王国だから。
 
娘は今年から小学1年生。初めてのPTAにもおそるおそる立候補してみた。子どもが大きくなるにつれ、地域との関わり方も少しずつ変わってきている。
 
「商店街と銭湯があればいい」という軽い気持ちで播州の片田舎からやって来て、14年以上が経った。立花を選んで、本当によかったと思っている。商店街で出会った人たちの優しさに甘えながら、わたしはここで母親になれた。

プロフィール
取材・文:黒田ゆうこ
結婚を機に尼崎へ。「商店街と銭湯のある町」という条件で立花を選び、以来14年以上。小6の野球少年と小1の娘と、夫の4人暮らし。大阪の会社で編集・WEBコンテンツ制作に携わる。

写真:大久保典子
立花在住のカメラマン。筆者とは娘が通っていた幼稚園で出会う。生まれも育ちも立花で、小学生の頃、「中田屋」のご主人・雄三さんにソフトボールを教わっていたことも。
水堂須佐男神社でお宮参りや七五三の撮影、自身のフォトスタジオ「studioCYGNET」での記念撮影も行う。