週末の杭瀬中市場。昔ながらのお肉屋や豆腐屋にまぎれて一台の屋台が出店していました。看板には「怪談売買所」の文字。怖い話や不思議な体験を1話100円で買い取り、逆に100円を払うと怪談を1話聞くことができるそうです。まるで漫画のような屋台の主人は、宇津呂鹿太郎(うつろしかたろう)さん。怪談実話(本当にあった怪談話の読み物)を手がけ、ライブでは語り部としても活躍するプロの怪談作家なのです。
100円玉が行ったり来たり
この日も朝から宇津呂さんとの売買を求めて、奈良や京都からお客の姿が見られました。「友だちから聞いた話なんですけど」と切り出すお客に「では、録音させてもらいますね」と宇津呂さんがICレコーダーを机に置いて買い取りがスタートします。感染症対策の間仕切りごしに真剣に聞き入る宇津呂さん。話が終わると「ありがとうございました」と財布から取り出した100円玉が支払われて無事買い取り完了です。
すると今度は、その100円を手にしたお客の方から「次は宇津呂さんのお話も聞かせてください」と100円玉が返ってきました。「どんな話がいいですか。こわい話、ちょっとこわい話、幽霊、妖怪、不思議な話、なんでもリクエストしてください」と販売がはじまりました。
100円玉をやり取りしながら、怖くて不思議な体験談を交換するユニークなお店が生まれたのは2013年のことでした。
怪談少年の夢がひらくまで
大学卒業後、役者を目指して上京した宇津呂さん。工場勤務のかたわら俳優養成所に通い20代を過ごしましたが、30歳を目前に夢をあきらめ、尼崎へと帰ってきました。その後、職を転々として行き着いたパソコン教室の講師の仕事は、朝から終電まで働くいわゆるブラックな職場で自分を見失いそうになっていました。そんな時に見つけたのが、インターネットでの怪談コンテスト。
小学生の頃から夏になるとテレビの怪談番組を楽しみにし、怪談本を夢中になって読み、人に話したりしてきた宇津呂さんの、眠っていた怪談愛に火がついたのでした。最初は「数で勝負」と25作品を一気にエントリー。超多忙な仕事を辞めて、ネタ集めのために友人や親戚、さらにその友だち、時には阪神尼崎駅前で道ゆく人に「こわい話ないですか」と声をかけて話を聞いて回ったといいます。「こんな怪しい勧誘にもかかわらず、耳を貸してくれる人が多いのも尼崎ならではかもしれませんね」
執念ともいえるネタ集めの甲斐あって、見事コンテストに入選。2008年には傑作選として書籍が出版されることになりました。さらに翌年の2009年には怪談ライブで語り部としてデビューを果たしました。「怪談のハイライトを語った瞬間に客席が一気に引いたんです。あの時の空気は今も忘れられませんね」。かつて役者の養成所で磨いた発声法や演技力がここで花開いたのでした。
ネタの仕入れは市場で
以来数々の怪談ライブに出演し、2010年には自ら企画し「怪談奇談の夕べ」なるイベントを当時東難波町にあった尼崎労働福祉会館で開催するうちに、尼崎の怪談作家として知られるようになりました。その後、活動の拠点はガサキングαを産んだ怪獣や特撮イベントがさかんな三和市場へと移り、「怪談酒場」などのトークイベントで語るうちに、三和市場での屋台村イベントへの出店に誘われた宇津呂さん。
「お店だからって僕の本を売るのも能がないし、行き交う人にライブするわけにもいかないので」と思いついたのが怪談売買所でした。「昔からこんな店があったらいいなというアイデアはあったんです。だって座っているだけで怖い話を仕入れられるなんて、怪談作家にとってこんなにありがたいことはないですから」と、2013年から三和市場で定期的に出店するようになりました。
だれかの話をおすそわけ
お客は圧倒的に買い取り希望の方が多いのだとか。「怪談本やライブなんかではあまり聞かないような不思議な体験を聞かせてもらっています」という宇津呂さんは、その音声を文字に起こし、文章にまとめて自分の話として育てていきます。「いろんな人の人生の一部を買い取らせてもらっているので価格なんて決められません」とどんな話でも1話100円。
怪談はだれかの不思議な体験のおすそわけ。「聞くと思わず誰かに話したくなるし、口から口へと伝わるうちに話が変わっていくのも面白い」とその奥深さを教えてくれました。カウンターを挟んで向かい合い、じっくり話をしたり聞いたりしながら、宇津呂さんは街の人たちをつないでいたのでした。
(プロフィール)
うつろ・しかたろう 1973年尼崎市生まれ。怪談作家。「怪談で世界平和を実現する」という理念を掲げてNPO法人宇津呂怪談事務所を設立。これまで聞き集めた怪談は700話を超える。現在は三和市場と杭瀬中市場で毎月定期的に出店している。