「人生半分損してる」って、なに? 誰のため?なんのため?徹底対話してみた

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 たまに耳にする「それ、人生の半分損してるで」という発言。3回目になる「みんなの尼崎大学談話室」で、その言葉がなんなのかを明らかにしてみました。過去2回の開催は以下の記事から。

第1回:恋愛、推し活、祈り、見返り? 哲学談話で語る「純愛」。 | REPORT
第2回:哲学対話ではなく哲学談話。友達と手土産の心地よい関係性を探る時間。 | REPORT

 前回に引き続き、今回も20代から80代まで多様な世代の方の参加がありました。哲学対話が初めての方もいらっしゃれば、これまで何度も参加している方も。参加者の中には、人よりもきっと「人生半分損してる」と言われる機会が多い人生だったという方から、とりあえず人と関わりたいという方までさまざま。今回もみなさんと一緒にじっくりテーマを深めていきました。


 まずは「人生半分損してる」という言葉についてのそれぞれのファーストインプレッションをヒアリング。想像通り、ほとんどの人が不快に思う、あるいはなにも感じないという印象です。その理由を深掘っていくと、

・若干の見下しが入っているから
・「損」という言い方が相手の価値を減らすような意味合いに取れるから
・そもそも自分でも損だとわかっていることを指摘されたくないから

 など、そうだよねという意見から、なるほど!という意見まで出ました。自分でもわかっているから言われたくない、、いやー、ありますよね、、

 一方、あまり気にならないという方の意見も見ていくと、

・若い頃は気になっていたが、今そう言われても特になにも思わないから
・言われてみてなるほど知っている(やってみる)と得だなあと思うことがあったから

 などがありました。なるほど、確かに。受け止め側の問題、受け取り方などにも影響する言葉なのかもしれませんね。

 そこから話は「半分って、なんなんだ?」というところへ。率直な感想ですが、人生の半分という単位がそもそもデカすぎ!という声もありました。加えて、半分というのはこれまでの人生における半分なのか、これからの人生の半分なのかというのも重要なのでは?という視点も。伝える側がその人のことをどう見て伝えているのか、これまで損してきてるな〜アホやな〜ということを言いたいのか、これからの人生半分損しないように生きてほしいということを言いたいのか、その違いも非常に重要なのかもしれません。今までの半分かこれからの半分か。ううむ、新しい視点。

 言われて嫌な人が多い「人生半分損してる」という言葉ですが、とはいえ自分も言ったことがある、という方も数名(自分が言われて嫌なことはするもんじゃない、という教えの重要さが伝わってきますが、、)。


「自分は美術館に行くのが大好きなのですが、人生で一度も美術館に行ったことがない、芸術に触れたことがないと言っている人がいて思わず言ってしまいました」
「音楽が若い頃から好きで、アルバムやコンサートのチケットも保管して集めているのですが、そこにまったく興味のない人を見るともったいないなあ、と純粋に思います」

 という声も。自分のこだわりやアイデンティティ、とても大事にしていること・ものへの共感がない人に、そう言いたくなってしまうのでしょうか。

 参加者のひとりはこう言います。

「映画の『国宝』ってめっちゃ流行ってたじゃないですか。いろんな人から観ろ観ろと言われていたんですが、そう言われれば言われるほどに観たくなくなる自分もいて。でもある友人に、次に会った時にこの作品の感想を共有したいからぜひ観てほしい、と言われた時にはスッと観たいなと思ったんですよね」

 勢い余って、自分が好きなものや共感しているものを他人や大切な人、友人と共有したい気持ちが「人生半分損してるで!」と言いたくなってしまう背景にあるのかもしれません。しかし、もしかすると純粋に「あなたとこれを分かち合いたい、共有したい」という率直な想いを伝える方が人を動かす場合も多いのだとしたら、どうしてこの言葉を使ってしまうのでしょうか。


「この言葉がいつの時代から使われているのかわかりませんが、今は少し否定的に聴こえるその発言も、もしかすると言葉が誕生した初めての頃は非常に強い効力があったのかもしれません。得するよという言い方よりも、損するで!の方が人を駆動させていたのかも」

 実は「人生半分損してる」という言葉は、あなたとつながりたい、という心の願いなのかもしれません。いや、一方では、やはり人の価値を減じるような意味合いもあるのか。対話の中では、言う人の思いと意図、そして伝える相手との関係性や距離感におおいに依存する、という話になっていました。

 また、損という解釈について、そのものの良さを知らないことで半分損しているという意味合いと、多くの人が楽しんでいるものの輪に入れないというダブルの意味での損があり、もしかすると後者の意味合いの方が多いのかもね、という話も。ううむ、やはり共感することが人間にとって、あるいは人類にとって非常に重要なのかもしれません。村八分的な意味合いの言葉なんじゃないか、ということをおっしゃる方もいました。

 そして、最もピュアなのは「人生半分損してるで」に対して「え!そうなんですか!じゃあこれができるともっと楽しめるってことですね!」と完全に受け止められる人になれるといいのではないか、という意見も。人間として出来すぎていますね、、

 最後に80代の参加者の方のコメントで締めを。

「知らないもの、経験していないことがあれば、人にいろいろ教えてもらえばいい。知らないことは、人と関わるための余白だと思う」


 次回の「みんなの尼崎大学談話室」は2026年1月14日(水)に開催します。テーマは「モテるって何なん?」。次回も気になりますね。

 また、12月10日(水)には「みんなの尼崎大学相談室」を開催します。

 どなたさまでも、お気軽にご参加ください!!