知り合い/友だち/親友の境目を哲学談話で探ってみた。

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 みなさんは普段、「知り合い」「友だち」「親友」という言葉を使い分けているでしょうか?日常のなかで当たり前のように使っている言葉ですが、あらためて問い直してみると、違いの説明が意外と難しいものです。関係性とは何か。どこからが友だちで、どこまでが親友なのか。そんな問いを持ち寄り、15名で哲学談話を行いました。このレポートでは、「知り合い/友だち/親友の境目って?」をテーマに開催したみんなの尼崎大学談話室(今年度最後の開催!)の様子をお届けします。

過去4回の開催の様子をまとめたレポートは以下よりご覧ください。
第1回:恋愛、推し活、祈り、見返り? 哲学談話で語る「純愛」。 | REPORT
第2回:哲学対話ではなく哲学談話。友達と手土産の心地よい関係性を探る時間。 | REPORT
第3回:「人生半分損してる」って、なに? 誰のため?なんのため?徹底対話してみた | REPORT
第4回:「モテる」の対象は?言い換えると何?「モテる」という言葉について、哲学談話(R8.1.14) | REPORT


 今日もいつもの通り自己紹介からスタート。合わせて「親友は何人いるか」を1人ずつ共有します。多数派は1人か2人。答えに迷う方がいるのが気になるところですが、ここから本題に入っていきます。

 まずは、哲学談話の仕組みを確認。

・時間が来たら終了する
・誰のターンかを分かるようにする。

 誰かの正解を探すのではなく、自分の言葉で考え、相手の言葉を受け取りながら、問いを一緒に育てていく。この土台があるからこそ、安心して本音を出し合える場が生まれるのです。


誰のターンかわかるように「やわらかいもの」を持って発言します。

 「親友は何人いるか」に対するそれぞれの意見から、話が展開されていきます。ある参加者は「私は1人が好きなので、親友はたくさんいなくていい」と話す一方で、またある参加者は「困ったときに依存できる場所があると安心するから、友だちは多いほうがいい」と語ります。早速、考え方の違いが浮き上がってきました。ここで、もう一度テーマに立ち戻ってみます。「知り合い/友だち/親友の境目ってなんであるのか」。親友と友だちが混ぜて語られているようにも感じられたので、改めて「境目」を整理していきます。

「知り合いは、顔と名前が一致する関係」
「友だちは、ご飯や旅行に行く仲」
「親友は、数十年単位で悩みを共有し、苦楽を共にした存在」

 それぞれの考えを出し合う中で、だんだんと境目が見えてきたような気がします。ここで、1人の参加者からこんな意見が飛び出しました。

「関係性とは、お互いにどのくらい矢印を向け合っているかではないか」

 一方的に矢印を向けられているだけでは、友だちとは感じないこともあるといいます。向けられた矢印をどのように返すのか、あるいは自身が向けた矢印を相手がどう返すのか。矢印の向け方/向けられ方によって、関係が知り合いに留まるのか、友だちになるのか、親友に育つのかが分かれていくのかもしれません。

 ここからは、3~4人の小グループに分かれて、さらに深めて話し合っていきます。


さらにさまざまな視点からテーマについて深めていきます。

 「なにかしらの目的のために一緒にいるのは友だちというより仲間なのではないか」「親友から友だちへ『降格』することはあるのか」などの意見が出てきました。また、「〇〇友だち」と前に言葉をつけることで、関係を整理しているのでは、という視点も印象的でした。例えば、犬友、推し友など。関係性は、常に揺れ動く流動的なものであるからこそ、前に言葉をつけることで「現在」の関係性を楔(くさび)のように固定できるのではないか、ということ。これには参加者の多くが共感しているようでした。

 終盤にはこのような問いが。

「今から親友は増やせるのだろうか?」

 年齢を重ねると、新たに深い関係を築くことに慎重になるという声が上がる一方で、推し活など共通の「矢印」があれば、今からでも親友になりうる人に出会えるのではないかという前向きな意見もありました。

 最後には、この談話室の関係性は果たしてなんなのかという話題に。知り合いではあるけれど、友だちとは言い切れない。だけど、「談話友達」ならしっくりくるかもしれません。このゆるやかな関係性こそが、この場の価値なのではないでしょうか。

 談話室ならではの価値に気づけたところで、今年度最後のみんなの尼崎大学談話室は終了。引き続き来年度も開催するかはまだ未定だとお伝えすると、参加者のみなさんからは名残惜しそうな声が上がります。みんなの尼崎大学は、談話室以外にも相談室やオープンキャンパス、新歓などさまざまな取り組みを行っています。今後も発信を続けていきますので、お楽しみに。